不遜な態度

テクノロジー犯罪の被害者とは違う集団ストーカーの被害者の場合、人々の不遜な態度に多く苦しめられます。

インターネットにおいてはテクノロジー犯罪の被害者の方が多数派のように見えますが、なんら身体に異常が表れず、人々の奇妙な動きや言動に苦しめられるだけの集団ストーカーの被害者も少なくありません。

集団ストーカーに共通するのが不遜な態度であるということです。
これは表面上丁寧に見えても、結果的に被害者に及ぼす影響は不遜なものであるというものも含まれます。

不当に低い評価を受ける。
人権が守られない。
挑発的な行為を受ける。
命を脅かす行為、命を脅かすように見える行為を受ける。

ターゲット個人を追い詰めるために、社会全体の人権意識も低く設定され、社会全体に不遜な態度が蔓延することが普通のこととされます。

人が歩いている横を、特にスピードを落とさずに車で通過する。
ターゲットが横断歩道を渡っていると、わざと邪魔そうにアクセルを強めに吹かしながらぎりぎりをかすめるように発進する。
店の店員が敬語を使わない。ところどころ不遜な話し方を混ぜ込んでくる。
店の店員が客を邪魔そうに退かしながら商品を運ぶ。
警察が平気で罵声を浴びせてくる。
テロ組織である暴力団が堂々と存在していても誰もおかしいと思わない。
芸能人のモラルの低い犯罪擁護発言が娯楽ニュースとなっている。

ある一点の真理を見ても、世界の全体像を見ても、不自然に捻じれていて、モラルや人権意識がまともに通用していないのは明白です。
それどころか、マスコミや政治は意図的にモラルを下げようとしています。
それが世界の真実です。

モラルが大切なのは、誰も好き好んで嫌な思いをしたくないからです。
モラルが崩壊すれば、嫌な思いだけでは済まなくなります。
命の危機に直結することがほとんどですから、人々が本当は他人の命をどうでもよいと考えていることがうかがえます。

不遜な態度は命の軽視に直結します。
命の軽視の宣言と言い換えてもいいでしょう。明白なテロ意識です。

ターゲットに対して、この不遜な態度を繰り返すということが、集団ストーカーの嫌がらせです。
集団ストーカー行為をしている者が人間であるのなら明確に、人間の尊厳や人権、命の価値、命に対する意識を問いただすべきでしょう。
どちらがおかしな人間なのか、それではっきりとします。

世間の人々はこう答えます。
「そういう人もいる。許容しなければならない」
「気にしすぎ」
自分の身の回りに人権意識の低い人は存在するでしょうか。おそらくいないはずです。いるのならば注意して更生させなければなりません。

門真市で自動車による暴走事件がありましたが、こういったことを日常的に受けているのが集団ストーカー被害者です。
この事件は、横に広がって歩く子供たちが邪魔だったという理由がはっきりとしているのですが、集団ストーカーの被害者の場合は理由なく、道路の端を歩いているにも関わらずに威嚇的な嫌がらせを繰り返されるのです。

一般の人々は、こういったことが起こっているのに、そんなことはよくあること、気にしすぎと言うのです。
気にしすぎとか、よくあることで済まされる問題ではありません。
この状況でよくあることと判断する方がおかし過ぎるのです。
このニュースを見ても、よくあることだから気にするなと言う方がおかしいのだということを理解できるはずです。
ターゲットが子供たちの場合は可哀想という感覚が働くのかもしれませんが、集団ストーカーの被害者の場合は、被害者の頭がおかしいということにされます。
ややこしいことに、この子供たちの方も邪魔になるようにコントロールされている可能性があります。
集団ストーカーはそこまでコントロールできることを、我々は知っています。
すべての流れの根源までが何者かによってコントロールされている。
あまりにも理不尽です。
ニュースも含め、すべてが計算された、そういった嫌がらせです。
敵は高い次元の存在ですので、一般の人々に理解してもらえるはずがないのですが。


人権意識の低い人間は、もっとバッシングを受けていいはずです。
しかし現実でバッシングされるのは、それをおかしいと指摘している我々の方なのです。
この逆転現象に気づいてほしいものですが、誰も気づくことはありません。

誰も人権意識の低い人間と仲良くなりたいとは思いません。
それが理論的な人間です。

存在しないはずの人間が存在しているのです。

この世界の方がおかしいのだという、はっきりとした証明です。

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