ある程度答えが分かれば何か書けるのですが、進展が何もないのでとりあえず世の中の流れについて書いておきます。
まずなぜ人類が人類を苦しめるのかということについて、国家が生存競争しなくても良い体制を整えたのですが、おそらく物語を作るために意図的に争いを残しています。
政治家が一切犯罪撲滅に触れないことには怒りを感じますし、最近も警察のあまりの態度の悪さに警察と公安に苦情を提出して忙しいところです。結果はいつも通りごまかしと謝罪なしで終わるでしょう。
ここまでは一般人としての感想と共通しますが、特殊な被害者としての感想は土台から少し変わります。
それらはすべて「わざと」やっているわけです。常識的に考えることは無意味です。
なんのためにそれをやっているのかという疑問の答えは、それが人生だからになります。人生といってしまうと常識的な答えになってしまいますが、言い換えれば存在としての物語をつくるためになります。
そして人類とは何かの答えは、自分の可能性と言い換えられます。被害者としては達成されることのない可能性のないあり得たビジョンになるでしょうか。
被害者であれば痛感している通り厄災のほとんどが人類からの道理の分からない攻撃です。つまり人間的ではない人間がほとんどなのです。
これを踏まえてのこれまでの考察だったわけですが、自分で読み返してみるとあまりに読みにくく分かりにくい文章でした。とはいえ書き直してもあまり意味がないので何か進展があった場合のみ書き足していきます。被害は低レベルなものばかりに移行しており、もう進展は何もないかもしれません。テクノロジー犯罪に関してはここ数年まったく受けていません。
不思議なのは集団ストーカー犯罪に関しての新しい展開や情報がほとんど入ってこなくなったことです。自分で調べることが少なくなったからかもしれませんが、他の被害者にも新しい展開が少なくなっているような感じがします。
だとするといよいよ終盤にかかっているということなのか新しい展開が控えているということなのか分かりません。
もうしばらく続けなければならないのは答えとなる情報を得ることと対処する技術を考えることです。集団ストーカーは種明かしをすることでその被害を理解させようとしますから集団ストーカーの情報が大抵いろいろなところにあります。その極めて重要な情報がどこかにあれば良いのですがそれは根気よく探し続けなければなりません。それと対処する技術は一日も休むことなく日々戦っているわけですから自然と向上するでしょう。
一番痛感するのは法律の穴です。法律はわざと曖昧に作られており、そこを重点的に責められることが多いと感じます。
人によっては法律は熟知した方が良いかもしれません。慣れた悪人は法をよく知っています。
私の生涯に渡るテーマは正義ですが、それは被害に関係なくテーマとなっているものですが、世界全体ではこの正義を否定する傾向にあると感じます。しかし本当に最低限の正義がなければ人類は生きることはできないでしょう。この善悪よりも世界は法によって動いています。
自分の存在は確かだけれどありえない世界に存在しているという難しい問題です。

この記事へのコメント
ニッポンジュソときあかし ながの
コウシンありて おどろきしまた。
どうもありがたくそうろいすま。
MAGIC ULTRA
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コメントありがとうございます。
ESRT
「わたしはこのすべてを見た。そして、人が人を支配してこれに害を及ぼした時の間に、日の下で行なわれたすべての業に心を用いるのであった。しかし、そうではあっても、わたしは邪悪な者たちが葬られるのを、彼らが入って来ては聖なる場所から去って行き、彼らがそのように行動した都市で忘れ去られるのを見た。これもまたむなしいことである」伝道の書8:9
「物語」という記述がありました。わたしは、集団ストーカーが(攻撃とその種明かしにより)各人に物語を作らせようとしているように感じることがよくあります。被害者のうち創作活動をするようになる者が出ると喜んでいるんだろうなぁ、なんて。
「その極めて重要な情報がどこかにあれば良い」と書かれていますが、素朴な疑問なのですが、その情報があったとして、それが正しい情報なのだということをMAGIC ULTRAさんはどう自分自身に証明するのですか?
MAGIC ULTRA
>
こんにちは。コメントありがとうございます。
重要な情報は例えば相対性理論のように検証に耐え得るかどうかという点で世の中の動きに影響を与えるかもしくは動きの意味が分かるようになるという点で重要です。
正しい情報かどうかは正直なところ世の中の倫理観のように集団ストーカー側がどちらにも変えることができるのであまり意味がないと考えています。
ですから敵の動きの意味を見るための指標みたいなものですね。
集団ストーカーの目的がどこにあるのかが分かるとこの現象の意味も分かるようになるでしょう。
ただの暇つぶしのためにやっているのではないかというのが今のところの感想です。
ESRT
わたしにもわかるようにご返信ありがとうございます…
もし集団ストーカーが人間より高い存在であるならば、人間がそれらの行いを検証しようとしてできるものではないでしょうから、何だかわからないうちに目的は果たされてしまうような…。
正しさ(真実)が相対的なものであるとしたら、集団ストーカーを敵と見做すこともあやふやになってくるような気もするのです(実際そうおもえないような「攻撃」もあり、これは「罠」と感じます)。
わたしの場合は(相変わらずソースは聖書ですが)、かつては彼らが「作らせる」物語とは様々な宗教的世界観だったのではと考えます。現在はそれは科学にほぼ凌駕されているので、政治的な陰謀論なども加えられているのかなと。世の動きに著しく影響を与えるものであってきたし、現在もそうであるとおもうからです。
「私が何を言いたいのか分かりますか。偶像に犠牲として捧げられた物には何か意味がある、あるいは、偶像には何か意味があるということでしょうか。そうではありません。異国の人々が犠牲として捧げる物は神にではなく邪悪な天使たちに捧げているということです」コリント①10:19,20
わたしは、集団ストーカーから(人間による)威圧的で暴力的な振る舞いに加えて、宗教的サインを多く見せつけられるのです。たとえば、龍の神、十字架、お守り、某コーヒーチェーンの女神など、それらを掲げて、彼らはよくわたしの前に侵入してきます。彼らが用いる数字や色などとおなじように何かを印象づけようとして。どれかだけ、ではなくこれら全てであるところが気になります。
暇つぶしのためにこんなに一生懸命くだらないことをやっているとしたら、可哀想というか…ヒエラルキーの上のものにやらされているのではないかと勘繰ってしまいます。。
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。
言い方が悪いかもですが被害者の方が人を殺人
をするような方向にいかないのも不思議じゃないですか?
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。
嫌がらせは板挟みで行われますので、主に厄介なのは警察力ですが犯罪をすればそれなりの激しい報復嫌がらせが行われます。
それとストーカーはギリギリで怒りの限界を超えない程度に悪気はないというような演技も混ぜてきますね。こちら側が攻撃したい人数は無数なので一人二人をどうにかしたところでもしくは100人200人をどうにかしたところでも全く問題の解決にはなりません。
まあしかし本音を言えばもうこのような世界なら滅びた方がいいんじゃないかと考えることは多いですね。
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。
ご希望通りコメント削除致しました。
通りすがり
私も被害者ですが、戦っています。
報復…という訳ではないですが、奪われたものを取り返す事は可能です。ただ、中々そこまで辿り着こうとすると妨害が凄いですけどね。
狂わないように頑張りましょう。
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。