間違った正義

どの時代にも仕掛けられていたものですが、世の中には常に間違った正義が蔓延しています。

正義自体は尊いものですので、これに罠を仕掛ければ、人は自動で間違った正義を行使し、世の中を歪めてゆきます。

これもダブルメッセージというテクニックです。

あらゆる要素にダブルメッセージが仕掛けられています。

絶対に必要なものに罠を仕掛ける。
生きること自体に罠を仕掛ける。
これがこの世の中の正体です。

最近のニュースは間違った正義をテーマにしているものが多いようです。

東名高速の煽り運転のニュースは、様々な間違った正義を提示しました。

まず、高速道路のパーキングの出口付近にわざと邪魔になるように駐車して、おそらく車内で煙草を吸っているというところからトラブルは始まります。
煙草を吸うという行為自体が、悪態や逃避を連想させるグレーな威嚇の要素を持つ行為です。
走行中の車中から火がついたままの煙草を投げ捨てる行為も拡大し続けています。

これを注意するべきかしないべきかというところで、一つ目の間違った正義が仕掛けられます。

そのまま放置すれば、みんなが迷惑をして、パーキングは混乱します。
しかし世の中の大半の意見は、危険な人間を注意するのは危険だから、自分で注意するのではなく、誰かを呼ぶべきだったというものが多いようです。

それで警察がまともに動いてくれるなら、その考えは正しいでしょう。
これがダブルバインドです。
警察があてにならないから自分で注意するのです。
自分で注意しなければ、誰も注意せずに、世の中に迷惑な人間が溢れてゆくことになるでしょう。

その後犯人は、ターゲットを執拗に追い回し、煽り運転や妨害運転を繰り返した後に、離れなかったターゲットを強制的に止めます。

被害者の方も強気であったことが伺えますが、この場合は理不尽に対抗するために、逃げることが悪を許容するという間違ったメッセージになる可能性がありますから、やむを得ないでしょう。

そして犯人が被害者に暴行を加えている時に、後続のトラックに追突されて、被害者の二人が亡くなります。

もちろん一番悪いのはトラックの運転手で間違いないわけですが、そこに止まっていなければ事故は起きなかったわけで、トラックの運転手に同情的な意見も多いようです。

おそらくこれが最大の間違った正義であり、このニュースの裏の主眼になるものでしょう。
最近、道路に止まっている方が悪い、道路上を歩いている方が悪いなど、はねられた被害者の方が悪いというミスリードの意見が多く流布されています。

トラックの運転手は特に同情の対象ではありませんが、これはどちらの自由を選ぶべきかという選択の問題です。
歩行者や路上に停止する自由を担保するか、あるいは何も考えないで、前方不注意でも事故が起きないような道路事情を構築していくのか、現状で、敵は両方の自由を奪っているわけです。

人によっては、歩いていれば無理な運転をする車にはねられそうになる。
車を運転していれば危険なところで停車され、追突しそうになる。
その板挟み、これがダブルバインドです。

警察や政治家が危険を排除するどころか、危険を仕掛けていることがよく分かります。

被害者の親族は、このような事件が起きないように、はやく煽り運転に対する法整備を望むと言っています。
事件の土台を作っているのは警察や政治家の怠慢であるわけですが、なぜそのような怠慢が許されているのかというのが、世の中の真実を見極めるための鍵となります。

加害者に対する量刑の判断は難しいものになります。
二人が死亡する原因を作ったのだから、その量刑は重くするべきという意見と、そのような法律は存在しないという板挟みになり、他の犯罪とのバランスが取れなくなるという事態にもなります。

法律があまりにざるすぎるのです。
裁判所の判断に不満を持つ人も多いでしょう。
被害者の人生よりも加害者の人生を考慮しすぎているという皮肉も生まれます。
人権意識自体が間違った正義になっていますし、裁判が正確な量刑を測れていないという曖昧な正義も問題です。

これらの曖昧さや怠慢を作り出しているのが、自由というものです。
自由の名の下に、犯罪を行う土台をも警察や政治家は確保してしまっています。
本当に自由を奪っているものは何なのか、自由とは何か。

間違った正義は、全体を見ていないことから起こります。
若い人がすべての要素を計算するというのは無理があるでしょう。
若い人の正義は注意しなければならないということを周知しなければなりません。
若い人は世の中のすべてを知っているわけではありませんから、正しい正義を行使するのは難しいでしょう。
だからといって年寄りの正義が正しいわけでもありません。
年を取るごとに利己的、打算的、消極的になる傾向があります。

歴史的に蓄積されてきた正義はどこに行ってしまったのか。
なぜ全体的で永続的な正義が作られないのか。

それは、正義に対する攻撃を仕掛けている何者かがいるからです。

間違った正義が、正しい正義を覆い隠し、ミスリードとして世の中を悪化させています。

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