誰が真実を語れるのか

物理的には存在しないはずである自由意志。

この世界の根源的な情報が、その根源の部分からすり替えられているダブルミーニング。
自由意志の意味を何重にも分けることによって人によって認識を変えるテクニックが、世界全体の根源的な部分にさえ使われています。

世界は自由意志が存在するかのように振る舞い続けます。


真実の要素として重要なものは、人間の思考と科学でしょう。

科学と人間の意識には矛盾するところが多々有り、未だにその解明には至っていないどころか仮説さえも出ていない状況ですが、やはり人間の意識よりは科学の方が解明が進んでいると言えます。

人間の意識に関しては宗教的な感覚による制限もあり、タブー視される傾向があります。

科学に関しても絶対的なものは存在せずに、権威と主張する科学者の数によって判断するしかないような状況であり、科学の権威よりも強い政治的・宗教的権威により情報が捻じ曲げられている気配も感じられます。

科学において正しいかどうかを知る術は検証することですが、その検証に使われるものは数学的な計算になります。

しかし、この宇宙が数学的構造で出来ているのかどうか、計算が一致するのは偶然ではないのかなどの問題があり、検証は困難を極めます。

集団ストーカーの被害者であれば「権威は平気で嘘をつく」ことを知っているわけですから、権威に頼るというのは心情的には分かりますが、論理的には矛盾するものです。

さらに人間の思考や社会の仕組みについても、集団ストーカーは一般の人とは全く別のものを見ているわけですから、その仕組みについて一般に言われている説が正しいかどうかを疑うべき立場にいるはずです。


世の中は権威に従うことが当然であるという態度を強制しており、それに逆らうことは許されない雰囲気を作り出すことで、またそれを破った場合には人間的な関係を断ち切られるというペナルティーを与えることで、人々を支配しています。

それでは権威ある人々は真実を語れるのでしょうか。
彼らは矛盾を暴き出したでしょうか。

それには目指すべき真実が何であるか、自分が知りたい情報は何であるかということも関係してきます。


権威こそが真実を隠すシステムであると私は考えていますから、世の中の情報に本当の真実は存在しない可能性もあり得ます。

そうであれば、それぞれの実体験のみが真実であるということになります。

しかし実体験にさえ誤謬は付き物ですから、それは操作されて作り出された認識である可能性もあります。


最近のマスコミの情報を、冷ややかに見ている人々も多いでしょう。

あまりに低レベルな情報が多く、特に政治家のやり取りは、究極の知識を持つブレーンが付いているとは思えない有様です。
この矛盾に答えられる人間は世の中に存在しません。

マスコミは一流大学出身者やエリート、若手起業家などを天才ともてはやしますが、彼らの実力をもってしても政治はままならないのです。
そんなに難しい話ではないでしょう。
一般の人でさえどうすればいいのか、大抵分かっているわけですから。


答えは簡単な話で、全員嘘を言っているから、もしくは洗脳されているから、世界にガスライティングという作用が働いているからです。

ガスライティング以外で世の中の矛盾を説明できるなら聞いてみたいものですが、その説明こそがガスライティングとなるでしょう。
我々はその矛盾を暴くだけです。


すべての宗教家、すべての政治家、ほとんどの学者は真実を口にすることはないでしょう。
彼らは真実のようなことを言って人々を煙に巻くのです。

時たまもっともらしいことを言う時の人と呼ばれる存在が現れますが、その前兆としてお膳立てがあり、世の中の状況はそれに合わせるように閉塞感を演出し、バカらしさを増していきます。
全体的に見れば、それは現実感を演出するための八百長であり、茶番なのです。

それは気づいてはいけない真実であり、口にしてはいけないものであり、それを否定する力こそがガスライティングという力です。

それに抗ったときに、それが人間の力であるか、それを超える因果律のような力であるか、どちらかを感じることになるでしょう。

この因果律のようなものが人によって異なる可能性があるために、誰にでも共通する真実というものが存在するのかどうかということを証明することは難しいことです。

人々の習性なのか、解明よりも共感を優先する傾向があるようにみえます。
それは傾向というよりもそういった操作かもしれません。

真実と共感は必ずしも一致しないように情報が操作されており、それも真実を隠す力の一つでしょう。

真実を追おうとすると孤独を感じます。

それが正しいとしたら、真実とは何でしょうか。
また、この孤立化工作は打ち破れるのでしょうか。

集団ストーカーの被害者であれば、この壁を感じている人も多いでしょう。

この記事へのコメント

  • あれま

    この前ある所で被害を話してしまったら、とんでもない目にあったよ。
    2018年05月13日 10:02
  • MAGIC ULTRA

    >あれまさん
    >
    コメントありがとうございます。

    第三者に話すと、過剰な精神病工作など不自然なことが起こることがありますね。
    2018年05月13日 17:27
  • あれま

    ほんとそうです。
    車とぶつかって事故った、ていう話なら気遣い対応が返って来ますが、嫌がらせ等を少し話しただけで否定に変わったり。
    こっちは心理的な癒し、慰め、気遣い等が欲しいのにね。
    2018年05月14日 16:42
  • MAGIC ULTRA

    >あれまさん
    >
    コメントありがとうございます。

    私もそうなりますね。
    2018年05月14日 21:23