我々には分からない人種感覚

海外での東洋人差別のニュースが流れるたびに、白人ジャーナリストがヒステリックなまでに差別発言をした人をバッシングするのに対して、当の日本人に、なんでそんなに怒っているのか分からないという反応を示す人が多いようです。

特に若い人に多いのかもしれませんが、これは人種差別の感覚が分かっていないために起こるのでしょう。
特に日本人は自分たちが差別の対象であることに気づいていない人が多いので、こういった状態になってしまうのでしょう。

白人の場合、生まれてくる子供の瞳の色や髪の色、髪の質などを予想し話すことが楽しみなのだそうですが、これは日本人には当然ありません。瞳の色も髪の色も質もみんな同じだからです。

それでも白人の真似をして、わずかな瞳の色の違いや髪の違いに優劣や楽しみを感じる人もいるようです。
白人がそれを見てどう感じているかは推して知るべしでしょう。

白人ジャーナリストが人種差別に敏感なのは、差別の感覚を知っているからです。
差別の感覚を知らない我々には、差別発言のどのあたりが差別なのか分かりません。

アメリカ人による第2次世界大戦の憎しみは主に日本人に向けられており、ドイツ人は尊敬されることも多いようです。
表面的な表現は特に変わらないため、その感覚はアメリカ人、特に白人にしか分かりません。
白人以外のアメリカ人は、第2次世界大戦の憎しみを日本に向けることは少ないようです。

日本人にもアジアに対する差別意識がありましたが、自分たちもアジアの一員であり、しかもそのアジアの中でも劣等の立場に立たされることも多くなり、もはやアジアでの優等意識は無くなりました。

人種の中で一番下の立場を感じたことで、日本人は本物の人間になりました。

有名な黒人が、「アメリカで黒人として生活することは、サイズの合わない靴を履かされているようなものだ」と言ったそうですが、これはこの世界の本質です。

それを知ることで初めて人間としての振る舞いが出来ます。

人間だけではどうにもならないことがある。
周囲の形こそが重要である。それを見えないようにして、隠して行う攻撃が、差別という卑怯な嫌がらせである。

実際にそれは嫌がらせのテクニックとして行われています。
差別は本質的には嫌がらせであり、嫌悪感を正当化することで行われます。

最近の黒人の肌は薄くなり、見た目は東洋人に近づいているような感覚もあります。
もともと東洋人に近い見た目の黒人も多かったようです。
白人もテレビで見る白人は奇妙な人が多いようですが、実際は東洋人とそれほど違わない白人も多いようです。
日本に外人が少なかったこと、テレビで見る外人があまりにも外人という見た目の外人ばかりだったことは、人種の違いの演出だったのかもしれません。

差別というものは、個人対個人でも起こりますが、主に大衆対大衆で起こるものですから、その感覚には気づきにくいものです。
外国人と話していても、おそらく差別を感じることはほとんどないでしょうが、わずかに含みを持たせた不思議な感覚は感じるかもしれません。

実際には差別は確かにないのでしょう。
それはマスコミによる演出です。
しかし、そのマスコミの演出に呑まれてしまう人が多いのです。

確かに日本人の瞳の色は基本的にひとつしかありません。
だからといって、白人の自慢に付き合う必要はありませんし、違いは認めなければなりません。
青い瞳に憧れるのは悪いことではありませんが、東洋人の遺伝子を否定するほどのレベルはやりすぎです。
遺伝子操作で、体の形など、どうとでも変えられるのです。
そういうことです。

自然に近いことを尊ぶべきでしょう。
だからといって改造された人間を見下すべきではないでしょう。

かつては日本人としての誇りを持てと言われていましたが、世界の均一化が進み、その必要性を感じなくなりました。
しかし、人権というか、自分の大切さは常にアピールしていなければ、悪い人間の食い物にされてしまう危険がありますので、プライドを持つことは悪いことではないのでしょう。
プライドの使い方は難しいものです。
プライドは他人よりも上の立場を維持するために使うものではないでしょうし、我を張るためのものでもないでしょう。

我々の知らない差別意識に、世の中全体がコントロールされ、最終的にそれが個人に対して不利益をもたらすことがあるのだということに留意するべきでしょう。
我々が日本人に生まれて得であったか損であったかを考えることは悪いことではありません。
我々が知らない感覚によって不利益を被っている場合、それを暴くことができるからです。

しかしこの手の情報は、最初から存在していなかったかのように、いつの間にか消滅しているものです。

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