二項対立による思考停止

世の中の人々の倫理を左右しているものは何かと考えると、それは人生における経験則であると言えます。
しかし、経験則というものはたった一人の経験であるため、倫理を形作るには、あまりに情報が少な過ぎます。

それを補うのが、ニュースなどのマスコミの情報や、人々との会話になるわけですが、悪人の場合はニュースよりも人々との会話が重視された結果、周囲の影響を受けて悪人になります。

それではニュースで流される倫理観は正しいのかというと、表面上正しく見えることが多いようですが、よくよく分析してみると、極端な例による二項対立を煽り、人々を事実上の思考停止に追い込んでいることが分かります。

極端な例をとって議論をするとき、例えば子供に対する体罰は有効なのか、倫理に反するのか、という議論だと、有効ではあるが、倫理に反するという意見が多くなります。
体罰の有効性のデータが示されているわけではありませんし、体罰以外の更生方法が確立しているわけでもありません。
答えは分からないということが正しい答えであり、賛成か反対かという結論ばかりを重視することは、問題の解決を遠のかせる行為であり、人々を思考停止に追い込むテクニックです。

確かに、人間は流動的に動く存在ですから、絶対はありません。
どの行為がどのような作用を及ぼすのか、時と場合によって変わるでしょう。

しかし、人々は特殊な例を出して、二項対立を正当化しようとしたり、思考停止に陥り、それ以外の選択肢を除外してしまいます。

まず、対立した時点でどちらかの勢力に加わろうとする集団意識が働くのでしょう。
しかし対立項目が二つだけというのは、その構図を分かりやすくするためであり、現実的に選択肢が二つしかない状況は稀ですし、二項対立のどちらも正しいという結果になることもあり得ます。

この極端な二項対立による思考停止は、強制的なジレンマの創出という嫌がらせであるとも言えますし、それ以外の選択肢を防ぐことによって、悪の安全地帯を作り出すことができ、悪を撲滅できない世界を作り上げることができます。


社会が作り出している二項対立の突破は、真実に向けての必須課題であり、不自然な二項対立を暴いた先に、世の中の異様な姿を見ることになります。


二項対立に巻き込まれないために

選択肢が二つしか用意されていない命題には注意する。

二つ以外の選択肢を考える。

二つとも間違いである可能性を考える。

強力な妄信の押し付けの意見に押し切られない。

その命題が出されたタイミングや意図を読み解く。

人間は自分に都合のいい方、自分が見たいものの方へ流される習性を持っていますから、希望的観測で物事を判断しないことも必要です。


二項対立において、その二項対立の考え自体のおかしさを指摘すると、矛盾が露呈します。

矛盾が露呈すると、ほとんどの人は沈黙するか、論理の捻じ曲げを行い、強引に無理を通そうとします。

世の中の矛盾を消せない原因は、ここにあります。

社会のかたち以前に、人間の正体とは何なのかということまで考えなければなりません。

この記事へのコメント

  • バルバル

    カタギには読心術を使う者と使わない者がいます。
    咎人系には読心術を使う者しかいません。

    これまでカタギの読心術を使わない者は、カタギの読心術使い
    と咎人系の読心術使いの双方をサルのようだと批判してきま
    した。
    このため、カタギの読心術を使わない者の守護神である
    カタギの読心術使いの方々から医者に送られてしまうと
    いう悲劇にみまわれていました。
    これからは、咎人系の方々への対処の仕方を、守護神である
    カタギの読心術使いの様子を見ながら、個人的に考えていく
    必要があると思います。
    2017年12月29日 16:27