警察の正体

警察のイメージは、困ったときに親身になって話を聞いてくれて、善良な一般市民をずる賢い人や組織、訳の分からない人、凶悪な人や組織などから守ってくれる優しくて頼れる正義溢れる存在でしょうか。

少なくとも、集団ストーカーの被害者からは全く別の姿に見えています。

そんなに正義溢れる存在の組織が、半世紀以上も暴力団を壊滅できずに手を拱いているのでしょうか。
麻薬という物が、集団ストーカーの存在を隠す一つのアイテムとなっています。
暴力団がいなくなると困る組織があるのでしょう。

集団ストーカーの存在を証明するためには、ある大胆な仮説を立てなければなりません。
警察は、この犯罪に対して本当に無知なのかという疑問の答えです。

ほとんどの被害者ブログに警察が登場します。
そしてかなりの数の被害者が、警察こそが集団ストーカーの主犯であると断じています。
正確に言えば、警察を操れる国家こそが主犯ということになるのでしょうが、国家の正体はもはや我々には分かりません。
法律がざるすぎることと、おかしな政治家が多過ぎるということを知っているだけです。

被害者のブログでは、直接警察に嫌がらせを受けているといった被害報告が多数なされています。
実際に被害者が撮影した、不審な動きをする警察の動画を、インターネットで見ることができます。

警察と暴力団の関係はマッチポンプに見えることが多々あります。
警察は法律のままに動くために、時に市民を苦しめることがあります。
警察は法律の不備を指摘することができない立場のようです。理不尽な法律も守り続けます。
警察は大きな罪を見逃し、小さな罪を責め立てることがあります。

細かい個人の警察官の不祥事も多いのですが、それは大局から目を逸らさせるための誘導に思えます。

大人になった人々が、素直にお巡りさんに感謝することがどれほどあるでしょうか。
社会の平和は本当に警察によって守られているのでしょうか。
それであるならば、なぜ暴力団はいつまでも存在し続けるのでしょうか。
なぜ社会の同調圧力に頼らざるを得ないのでしょうか。

警察を信じるか信じないか、これがまともかまともじゃないかの境界となりそうです。
表層的には警察を信じている方がまともです。しかし大局的ならどうでしょうか。

一般市民には、身を守る権利があります。
一人一人の命に、危険を排除する権利があります。
しかし、独善的な暴走を防ぐために、その権利は警察に預けることが義務となっています。
なので、警察は一人一人の命の危険を排除する義務があるのです。
もし警察がその義務を果たさない場合、我々はどうすればいいのでしょうか。
答えは2つ、泣き寝入りか、もしくは命を守るために危険を排除する権利を自らの手に取り戻すかです。

警察は命の危険を排除しない、そして命の危険を排除する権利も奪っている。
我々は板挟みにされて、身動きが取れない状態です。
泣き寝入りという選択しか許されていない状態です。
この状態を奴隷と言います。
今更言うまでもありませんが、我々は国家の奴隷なのです。
それどころか、集団ストーカーの被害者に至ってはモルモットのように実験材料にされているのです。

奴隷でないことを証明するためには、権利が実行できる状態にならなくてはなりません。

みなさんは、権利がないことに気付いていないのでしょうか。
国家に権利が奪われていることに対して、怒りも不安もないのでしょうか。

右翼とか左翼とかの問題ではありません。あれはいずれもでたらめな暴論です。いずれにしても国家のために人が存在しているというスタンスなのです。

自分を守るための権利を守るための闘い、それが集団ストーカーの被害者と警察の間で行われているのです。

警察は予算が少ないからと言って、事件が起こってからでなければ動かないという民事不介入のスタンスを決めました。
予算がどうであるかは分かりませんが、人権的には大きな問題です。
悪が暗躍する土台を警察が作ってしまったわけですから。

もちろん集団ストーカーが暗躍しているのは、この警察のざる状態があってこそです。

集団ストーカー被害者にとって、警察は頼れる存在であると同時に、厄介な存在にもなります。
警察そのものの露骨な嫌がらせも頻発しています。

明らかに相手が悪いのに、被害者の方を逮捕するという嫌がらせが相次いでいます。
逮捕した後に、警察は被害者を全裸にして取り調べます。
大人しく指示に従っているにも関わらず、なぜか代わる代わる罵声を浴びせてきます。
抗議して、取り調べの可視化を求めると、そんな法律はないと言って露骨に拒否します。
弁護士は頼りにならなかったり、警察には勝てないことを説明して降伏することを勧めたり、肝心な時にいなかったりします。
検事はニヤニヤ笑いながら訳の分からない言い分で被害者を押し込め、警察と一緒になって罵声を浴びせてきます。
無理やり加害者にされた被害者の言い分は、端から聞いていません。

集団ストーカー被害者にとって、集団ストーカーが存在するということは、もう明らかなことなのです。

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック