自力でトイレを見つけて駆け込みましたが中は長蛇の列になっていて万事休すと思い気が遠くなって座り込みました。一瞬気を失いかけたかと思った瞬間誰かに肩を叩かれて顔をあげてみると周囲にほとんど人の気配が無くなっていてトイレはほとんど空いていて静まり返っています。
私はひどく体調が悪くなったのでもう旅行を切り上げて帰ろうと切符の予約変更を行うため駅の窓口に向かうと、ここも長蛇の列になっており、やっと私の順番になった途端に切符の販売員が席を立ってどこかに行ってしまいました。いつまで経っても戻ってこないので仕方なく別の列に並びなおしたところで終業時間になったようで窓口がすべて閉まってしまいました。
私はクレームを言うために直接中に入って行きましたが、相手は妙な対応をするばかりでした。
その時は何が起こったのか分かりませんでしたが、その時にはっきりと分かったのは、相手に話す意志がなければ会話は成立しないということでした。そのようなことが現実に起きるはずはないので、そのような心配をする必要は本来ないはずですが、実際に私はそれまでもそのようなことが多々起こっていました。現実には起こり得ないことが実際には簡単に実行できてしまい、その場合そのターゲットはどうにもならなくなるのです。
その後しばらくしてからそれが集団ストーカーという現象であることを知ることになるわけですが、私の場合はそれが極めて分かりにくいレベルではありますが子供の頃からずっと起きていました。
「相手に話す意志がなければこの世はどうにもならない」
たったそれだけのことでターゲットは何も出来なくなってしまい、すべての行動を封じられるのです。逆に言えばこの時代の人生とはすべて対人関係によって築かれているということになります。
ですから我々にとっては対人関係が50/50の対等の関係であると考えることは誤りです。
しかし我々は普通の人間ですから、どうしても人々はすべて対等であるという世界観を基にすべてを考えて計算しようとします。
相手の気分や人権を害したのは自分にもいくらか責任があるのではないかと考える場合もあるでしょうが、そのように仕向けられているだけの話です。
そのように考えることは良いことですが、残念ながらそれは真実ではありません。
フィフティフィフティどころか、ほぼ完全に相手に操作されていることもあるでしょう。
この世界は人口の数だけ権利があり、それが壁となっていてほとんど自由がないように作られています。例えばほとんどすべての土地は誰かの所有物であり立ち入ることは出来ません。公共の土地であってもそれはすべての人々が自由に使える場所であり、ターゲットの自由を侵害する工作員をいくらでも送り込めます。
我々は周囲に敵が存在する限り自由はほとんどなくなります。また集団ストーカーが示しているのはそういうことです。
ですがもう一つ重要な真実があります。それは工作員の方にも同じように自由がないということです。というのも我々が工作員を識別できる場合、我々がその工作員と接触している限り工作員はずっと工作員を演じ続けなければならないからです。
そのような世界が現実に存在するだろうかと考えれば、存在しないと私は考えました。世の中の全員が工作員ならば、何の為にこの世界が存在しているのか分からなくなります。そもそも工作員は何の為に誰の為に集団ストーカーをしているのか分かりません。分からないというよりもそのようなことはあり得ません。
世界に闇の組織が存在するという陰謀論的な考え方もあり得ないとまでは言えませんが、あまりに突飛な発想です。それならば世界はすでにその闇の組織に支配されていることになります。すべての警察と国家がその闇の組織を全く認識していないわけですから。
集団ストーカーの本質は対人関係、テクノロジー犯罪の本質は感覚を含めた人間の意識です。
噛み砕いて言うと集団ストーカーの対人関係のおかしさとは、そのような対人関係になるような世界になるためには世界そのものがおかしくなければ出来ません。つまり集団ストーカーは世界がおかしいことを示しています。
テクノロジー犯罪の方はターゲットの感覚の異常です。つまり本人の意識のみですべては再現されていて、それが本人が自ら作り出しているのではなくどうやら外部から操作されているということが示されています。
この二つの答えから導き出した答えが、集団ストーカーとは世界が偽物であることを示すための種明かし的現象であるということです。
世界が偽物であるというのはどのレベルで偽物なのか、人間だけが演技しているだけなのか、それとも世界そのものが本当に外部から作られたものなのか、それはよほどの証拠がない限り計り知れないことなので私は効率を考えてより大きい嘘の方が簡単に省エネルギーで実行できるという答えだけをとりあえず提示しました。
後は逆算ということになりますが、とにかくここで述べたように対人関係の主導権が必ず向こう側にあるのがこの世界の仕組みです。つまりターゲットは一人だけなのに対して敵は複数であり、場合によっては法律さえも味方にして優位に立ちます。すべて偶然を装いますが、例えば信号機など公的で機械的なものも敵の味方として動きます。
なんとなくでも「世界がこういう形をしているから我々は抵抗が難しいのだ」という感覚が分かっていただけたでしょうか。

我々の本当の敵は「世界」であり、だからこそあまりに難問です。私は被害者さえもひょっとしたら世界の一部なのではないかとも考えましたが、それだと集団ストーカーの意味がありません。ですから集団ストーカーが存在する限りターゲットは確実に存在します。
そもそも警察ほどの万能の組織が全く見つけることが出来ないという時点で集団ストーカーはとてつもない存在です。しかも私の場合は真っ先にその警察が集団ストーカーとして振る舞いました。世界には期待できないことをテレビなどで仄めかされ続けました。
とにかく進めるしかないわけですが私は時間切れになるかもしれないと思い、せめて次世代の被害者に情報を残すためにブログを書きましたが集団ストーカーという世界ではあまり意味はなかったかもしれません。しかし情報のフィードバックという効果はありました。
どこまで操作されたものなのか分からないので私は常に慎重ですが、とどのつまりこの問題の本質は対人関係と自分の意識と感覚の問題なのでそこに集中して良いだろうと思います。ただそれを考えるために世界観が必要となるのでこの世界観が人によってバラバラなのでどうにもなりません。
何らかの被害者同士の情報のすり合わせなどが必要だろうと思います。
ただしそれも含めて対人関係は50/50ではなく、常に周囲が主導権を持っているということに注意が必要です。
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この記事へのコメント
テク犯被害者
ブログ記事拝見させて頂きました。
集団ストーカー・テクノロジー犯罪は
容易に解決出来る問題ではありませんが、
あまり思い詰めて
ことを煮やさない事も時には重要ですね。
何とかなるかも・・・の精神で頑張った方が
良いのかと?自分は思います。
それと質問を一つ、
集団ストーカー・テクノロジー犯罪は本当に
誰にでも被害者になる可能性はあるのでしょうか?
私は、そうは思っていませんが・・・・。
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。
その通りですね。集団ストーカーは規模が大き過ぎるのと結局のところは敵の方も自由がない部分は同じですから、正直気にしても気にしなくてもどちらでも好きな選択で良いだろうと思います。
ターゲットの選定に関しては、すべて既定路線なので最初から決まっていると考えていますが、適当に決めているわけではなく計算通りに嫌がらせを実行しなければならないので、それが可能な範囲内であれば誰でも被害者にすることは可能だろうと思います。
いずれにしてもそれはストリートシアターのようなシナリオなので、本当の被害者なのかどうかは我々には分からないようになっていると思います。
ニッポンジュソときあかし
わずわ マイシュウ コウシンしてるか みてるのだすが
なかなか コウシンありもせんで もうかくの よしたのかなと おりゅうてしまた。
ゼイタクゆうと テイキテキに コウシンしていただくと うりぇしいだす。
こりぇわ エスビーアイの コウサクだそうだすが、
まさにシュウダンストーカーだす。
https://ameblo.jp/kky2010
テク犯被害者
お返事有り難うございます。
集団ストーカーがもたらす人為的な加害行為は、
長い年月の経過と共に、心に<耐性>と<適応>が
身につくので<集団ストーカーのみ>の犯罪ならば
努力次第では、解決の道に向かうのでは?と
個人的には思っています。
ですが、テクノロジー犯罪・電磁波攻撃・V2K等と
呼ばれる得体のしれない攻撃に対しては、
心に耐性がついたとしても、肉体的な辛さがあるので、
自分はこの訳の分からない攻撃に対し、
日々、頭を悩ませています・・・・。
これだけは、どうしても辛いですね・・・・。
また何か気になる事があれば質問させて頂きます。
ご無理の無い程度にブログ運営頑張って下さい。
ジワリジワリと攻めて行きましょう。
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。
税金関連の嫌がらせで仕事が忙しくなっていたため連休までなかなか更新できませんでした。
これからは暇になりそうなので大丈夫です。
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。
もうムリ
もういなくなりたい。
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。
テク犯被害者
お元気でしょうか?
今日は、容体確認だけ。
ブログ記事は催促してないです💦
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。
私の方はまあまあ元気です。