シミュレーテッドリアリティとニーチェ

シミュレーテッドリアリティの記事を書いた次の日、たまたま読んでいた本に、ニーチェが晩年に書いたといわれる意味不明な一文が紹介されているのを見ました。


>生成に存在の性格を刻印すること、これが力への意志の極致である。

>二重の偽造、これは存在するもの、停滞するもの、等価のものなどの世界を保存するために、感覚器官と精神からなされる、それは考察の絶頂である。

>存在するものに与えられる価値から、生成するものを断罪し、それに不満をおぼえることが由来する。
>これは存在の世界がまず捏造されていたからである。

>存在するものの諸変形「物体、神、理念、自然法則、定式、その他」。
>仮象としての「存在するもの」。
>価値の逆転、仮象は価値授与者であったのである。
>認識自体は生成においては不可能である。
>いかにして認識は可能であるのか?
>自己についての誤謬(ごびゅう)として、力の意志として、迷妄の意志としてである。
>捏造し、意欲し、自己否定し、自己超克する働きとしての生成。
>いかなる主観もなく、行為し、定立する働きが創造的なのであって、いかなる「原因と結果」もない。
>機械論的理論の無用、それは無意味性という印象をあたえる。
>これまでの人類の全理想主義は、ニヒリズムへと一変しようとしている。
>絶対的無価値性、絶対的無意味性による信仰へと。

>(力への意志 第617番 ニーチェ)


ただでさえ意味不明な文章を、強引に意味が分かるように翻訳したものが、ほとんどの哲学書ですから、その解釈によって意味が大きく変わってしまうものがほとんどです。

このニーチェの一文は、まるでシミュレーテッドリアリティや、集団ストーカーによるダブルミーニングのことを言っているようにも見えます。

いずれにしても、これだけ曖昧な文章では、どのような意味に解釈することもできるために、仄めかしや種明かしとはこのような雰囲気で行われるということだけしか伝わりません。

ニーチェは晩年、精神病に苦しんだようですが、このような情報も世界設計の一端なのかもしれません。


仄めかしについては、シンクロニシティについて書いた少し後に「シンクロニシティ(乃木坂46)」という曲の発表がネットニュースに表示されたり、私は仄めかしの内容はほとんどでたらめであると考えていますが、とにかくこういうシンクロニシティのような仄めかしのようなことが毎度のように起きます。

ちなみにこのレベルは仄めかしとしては弱いレベルであり、意味は感じませんが、運命操作があるという気持ちには傾いていきます。

世界のすべての情報が仄めかしとなるように、すべて意図的に計算されて構築されているのではないか、というのがシミュレーテッドリアリティの考え方です。

過去の歴史もすべて、現在から逆算して構築されている可能性を感じます。
つまり、我々の歴史認識が衝突するように、わざと曖昧に歴史が作られてきた可能性です。

歴史については我々からは見えませんから、現在において嘘の歴史をでっちあげてしまうことも可能でしょうし、あらゆる立場の人間が主張して、自分に都合が良いように改竄することも可能でしょう。

このようにあらゆる要素に、わざとらしさを感じるのです。
もちろん確率でいえば、偶然ではあり得ない確率になります。

集団ストーカーの被害者に対応した情報もありますし、ほとんどの情報は一般の人に対応した情報です。また、どのようにでも受け取れる曖昧な情報が多いのもこの世界の特徴です。

なぜ、これほどまでに曖昧な情報ばかりなのか。
情報をはっきりさせると困る人がいるということでしょう。

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瞑想曲?
ニーチェ作曲 マンフレッド瞑想曲
https://www.youtube.com/watch?v=_HA5h9RL1WM

この記事へのコメント

  • こんばんは 偶然と言う状態自体が存在しないのかも知れませんね。全てが運命操作の必然であって、偶然は調節された必然と考えると、この被害の説明がし易くなります。なんで自分がと、何度も過去を振り返って点検してみると、自分の場合はそれらしき事案が見つかります。被害が始まるより、随分と過去のことですが。しかしその地点より、何か引きずって来た様に感じますが、誘導されているのかもです。それに対する処罰の歳定が下り、いまが処刑の最中であるとも考えられます。事案の経過には、今思えば運命操作を感じますが選択は自身の自由意思で決定したと思へます。ただ不思議なのは歳定の主は時間を逆行して過去の事案に酷似した選択を連続して突き付けてきたという点です。裁定が下された以上、処罰は絶対であり選択の余地は無いという事でしょうか。こういう事が可能なのは仮想現実の創造主でなければと、つい思ってしまいます。
    2018年03月06日 21:37
  • MAGIC ULTRA

    こんばんは、コメントありがとうございます。

    確かに断罪演出がありますね。

    私の場合、まったく狙われる覚えがなく、これほど酷い嫌がらせを受けるのは、私が前世で何か大罪でも犯したのではないかと、つい考えてしまいますね。
    2018年03月07日 21:27
  • これは批判とかそういうことじゃ無い、普通の質問なんですけど、いくつかの記事内でしきりに「偶然ではあり無い確率」と主張されていますが、きちんと数値化した上での主張なのでしょうか。また、仮に数値化出来るとして、どの程度なら「偶然でもあり得る」のでしょうか。
    私はカオス理論の研究を行っていますが、手助けをすると思ってお答えいただきたいです。よろしくお願いします。
    2018年08月12日 18:11
  • MAGIC ULTRA

    >これは批判とかそういう…

    コメントありがとうございます。
    ピンポイントの良い質問です。少し長くなりますが省略気味に説明します。

    その答えは極めて簡単です。

    これらの事象は運や意思の達成の確率のようなものですから当然数値化可能です。ただし個人の認識によるでしょう。

    人間の動きに関しては確率的というよりも言語的ですから、「計算するまでもない確率」という表現の方が正確に説明できますが、それでは納得しない人も当然いるでしょう。

    人間は情報の整合性を取りますから、それを取らない確率は低くなります。
    多くの情報や要素があまりに不合理ですから、整合性を取らない取れない確率で計算すれば、計算可能です。それは論理を数値化すれば良いだけで、例えばアンケートなどが論理や心理の数値化になります。

    個人でそれらのアンケートや意見などを目撃することから、主観的数値化が可能になります。

    そこから先はシンクロニシティの確率として説明した方が分かりやすいでしょう。
    主観的と思われがちなシンクロニシティですが、その体験確率は人によって計算可能です。
    それは情報などでもその確率は計算可能です。計算不可能という思い込みこそが主観的なものです。
    それに納得するまで計算の要素や精度を高めることは労力を無視すれば可能です。

    最も具体的なシンクロニシティで説明します。
    どこかで信号機が赤になる確率で説明していると思いますが、連続で5回ほどぴったりと赤になり、それが断続的に続きます。信号は一例に過ぎす、確率の異常はあらゆる事象に及びます。
    それは被害者個人でも確率が変動しますから、それで測定可能ですが、客観的な証拠ということになると、統計を取る一般人の協力者がいれば簡単に測定できます。

    被害者ではない人々の平均値を取り、その平均値と被害者の数字が一致しない場合、その原因の説明が出来ない場合は確率の異常であることがその時点で証明されます。
    誤差も一般人の平均値から導き出せるでしょう。被害者である場合は確実にその誤差を軽く超えますから証明は簡単です。
    つまり誤差内に収まれば確率に異常がないことを認めなければなりませんが、平均値どころか人別の統計平均の最大値を超えたり最小値を下回った場合はそれをもって異常と認めることができます。
    人別の統計平均の最大値と最小値の間やその近値が偶然でもあり得る範囲です。それらは統計値ですから、統計数を増すほどに精度が上がっていきます。その値が平均から離れるほど偶然である可能性は下がります。

    さらにそれを様々な別種の事象で測定してみると、ことごとく被害者の数字は異常を示すでしょう。
    それらの確率の異常を合わせることで異常の確率は際限なく高まっていきます。
    複数の確率を合わせると、それが偶然とは言えなくなっていくことは語るまでもないでしょう。それは数学的思考をした場合の方がより顕著に理解できるはずです。

    これを世の中の事象に適用してみます。

    人間の心理的安定や利益的安定を平均値として設定します。そこからずれるほど、偶然ではあり得ない確率ということになります。
    つまり、人間の誰にも利益しないであろう選択を人間が選択する確率は低いのです。
    必然が見い出せない場合、そのような選択をする人間は少ないわけですから、確率が低くなります。

    逆に偶然であり得る確率ですが、私はシミュレーテッドリアリティを主張しているわけですから本当は皆無と言いたいところですが、質問の意図には反してしまいますので、理由なく必然や自然を逸脱しない確率であれば偶然であり得る確率と言えるでしょう。

    根本的な問題として、人間の意志というものは偶然を超えた状態です。すべての事象に意志が介入しているという話です。
    2018年08月12日 23:00
  • 返信ありがとうございます。
    やはり計測値を見ても、あるいは見るまでもなくというレベルで異常なのですね。

    参考にさせていだだきます。
    2018年08月12日 23:02
  • MAGIC ULTRA

    >返信ありがとうご…

    コメントありがとうございます。

    説明をもう少し分かりやすいように改訂してみました。
    2018年08月12日 23:45
  • ゼロ

    もし仮に、シミュレーション理論の様な考え方が正解だとした場合、個の意識、言い換えると魂の様なものが残ると思われます。
    一般世間でいう魂は、シミュレーションの世界では意識の識別番号と言う感じだと思えます。
    だとすると、死後も尚、魂は囚われ、如何様にもされる可能性があると考えられます。

    少なくとも死後の世界も、集団ストーカーは解明済みか、或いは造った張本人とも言えます。
    そのテクノロジーからすれば、死者の魂は敵の手中にあると言う事に成ります。

    多くの被害者が、よく考えて見ると物心付いた頃から奇妙な事が起きていたと主張するのには、こう言ったことが関係するのかも知れませんね。

    輪廻転生が有るとすれば、それも集団ストーカーのシステムの一部ということに成ります。
    また、宗教的にも哲学的にも、死んでも、人生はリセット出来ないと言われて来ました。

    感覚的には理解出来ても、その確証のアリカは何処から来たのか?

    私の言いたい事は、この不可思議な事象は人間が触れることの出来ない、死後の世界にも、その影響を及ぼしているかも知れないという憂いと、その正体を現さない底知れぬ不気味さです。



    2018年08月14日 18:54
  • MAGIC ULTRA

    >ゼロさん
    >
    コメントありがとうございます。

    我々の存在の素となる存在がシミュレーションの外に存在している可能性がどのくらいあるのか分かりませんが、この世界で死んだ瞬間にそのまま存在が消滅する可能性も考えられます。
    それだと現実的な感覚とほぼ同じになります。

    シミュレーションというのは「無限の可能性」の中から「決められた法則性」のある世界観を作り出します。
    集団ストーカーはその中の一つの法則性に過ぎませんから、それが発動するかどうかの確率は分かりません。

    シミュレーション媒体そのものが集団ストーカーの法則に特化した専用の演算機である可能性は低いため、集団ストーカーが存在しない世界も無数に生み出していると考えられます。
    この世界も表向きは集団ストーカーは存在しないことになっている世界です。

    ですから、人もしくは世界によっては集団ストーカーの影響を全く受けない可能性もあります。

    シミュレーションというのは可能性が無限大になってしまうため、パターンが多くなりすぎて法則を絞るのがやや困難です。
    2018年08月14日 22:51