現実や現実感というものは人によって異なる為、人の数だけ現実が存在し、現実であるにも関わらずにそれが共有できないという事態まで起こります。
これは現実を正確に認識できる人間が少ない為に起こる現象であり、また人間が現実を認識できるほどの知識にまで到達していないことによっても起こります。
何度か説明していますが、現実を認識するというのは想像以上に困難です。
すべては脳が投影しているものを現実と認識しているのであり、その映像やイメージは脳が作り出しているものであるという自己の中の客観的な認識を持つことから始めなければなりません。
人間が目で見ている映像はすべて電波の一種である光によるものであり、その正体はただの波長の違う波です。
厳密には光子という量子の一種ですが、量子の正体についてはまだ分かっていません。
光はただの波ですから、色という要素はありません。それは人間の脳内のみで作られているものです。
人間が見ている物質についても、その正体はまだ分かっていません。
物質とは、空間に作用している謎の力であり、謎のエネルギーです。
量子力学やひも理論などでは物質とは空間特性や次元の力であるという答えに向かっているように感じます。
そしてこの世界は計算上でもあまりに偶然のパラメーターによって構築されていることが知られています。
シミュレーション理論のような一見奇異と感じるような理論も、それらの情報から生まれています。
世界や宇宙を構成する元素やその動きはどのようなものかというところまで考えていくと、そのあたりまで自然に行き着くのです。
そして科学者たちはそのどちらの答えも明確には出せない状況にいます。
否定と肯定は、結局現代においても直感的な感情で行われています。
ほとんどの人間の感覚はガリレオの時代と何も変わっていません。
右か左かという所属を決めて価値判断を行う者や、その所属を押し付ける者。
それは世界のあらゆる要素に及びます。
なぜ意味のないカテゴリーの構築にばかり現を抜かし、直接本質を語ろうとしないのか、それこそが本質隠しというテクニックであり、世界の本質です。
現実的なことを否定しようとすると、必ず感情的にそれを否定しようとする者が現れます。
それは人間の自然な拒否反応のように見えますが、そうとも言えますし、それすらプログラムされたものであるのかもしれません。さらにはそれこそが集団ストーカーの本質であるとまで言えるでしょう。
いつも感じることは、現実を暴くということは、自分の未来を暴くということに繋がり、それは死の恐怖でしかないのではないか、だとしたら、世界のすべてのプログラムはそれをはぐらかすための本質隠しなのではないかと感じるのです。
集団ストーカーとは意味のない人生に意味らしきものを付加する、ただの暇つぶしプログラムであるとも考えました。それは先人たちがみな、そのように言っているからです。
集団ストーカーは、苦労のない幸せなだけの人生は退屈であると繰り返し言うのです。
それにしても苦痛だらけの人生は暇よりも苦痛になっている感もあり、これだと本末転倒のようにも感じますが、それが人工知能によるものならば、その強制力には逆らいようがありません。
ですから我々に与えられている方法はすべて人間的なものばかりになります。
現実を否定することに対する拒否感はおそらく誰にでもあるでしょう。
私にはそれはまるで洗脳されているように見えますが、現実を肯定したい人々にとっては現実を否定する方がまるで洗脳されているか迷走しているように見えるでしょう。
その対立です。
集団ストーカーのターゲットにとって、現実のかなり多くの部分が否定しなければならない嘘であることは明確に示されているわけです。
操作されているレベルによっては世界のかなり深い部分や、広い範囲を否定しなければならないという必要も出てくるでしょう。
問題なのはそれらの綱引きを感情的に行うことが多いということです。
感情は人間的なものという考えもありますが、ただのプログラムされた真実の隠蔽のためのテクニックでもあります。
何が真実かを突き詰めていかなければなりません。
現実を否定することに対する直感的、直情的、感情的な拒否感とは、心にプログラムされた自己防衛反応であり、またそれは真実への扉を封じるシステムにもなっています。
それを自己判断できないという状態こそが、我々が主張している操作されているのではないかという根拠になっています。
普通の人間であるならば、真実の追及はそれほど恐れるべきものではないからです。
かつて異端を恐れるのは宗教家たちでした。
今も似たような状況でしょう。
ただし現代でのそれは、何者かの介入による巧妙なシステムによるものでしょう。
この記事へのコメント
しかしながら、その薄弱さやカオスの中にこそ人生の機微が有り幸福の中枢をになっているとも言えます。
この機微や混沌さによって人々の微妙で人間的な生活感は成り立っているのです。
この過酷な犯罪システムを架された被害者は勝ち組か、負け組か或いは生か死か、敵か味方か、これは被害か、本当の偶然か。なんで私が、そういう事しか考えなくなってしまいます。
これがAIの典型的所業ということです。おまけに決定的ダメージは脳の操作です。これは言わずもがなですね。でも四六時中操作している分けではないのです。
最近話題になった事件もこの件に関連しています。
被疑者は加害者の領域に居たのですが、与えられた自由意志の中で正義感を露呈したのです。数字からそれが読めます。ある意味、彼女は嵌められたのです。しかし、加害母体からすれば唯の使い捨てだった様です。
加害側はプログラム上、容赦をしないのです。自由意志は踏絵として短時間のみ与えられます。
理由は進化しすぎた知能に被害者が追随出来なく成り始めていると見ていいでしょう。というより、それを私に提示してきます。だから真実でないかも知れません。
言いたくは有りませんが私は既に静止の宣告を言い渡されています。しかし、またすぐにおじゃまするかも知れません。
MAGIC ULTRA
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コメントありがとうございます。
人間同士の争いに見えて、そうではない力もあるようです。
その部分を超えた場合、さらなる難しさが訪れてしまいますね。