この世の真実は一つだけと言うのは思い込みかもしれません。
被害者のブログでは、それぞれの立場を主張しています。
すると、おのずと自分の主張と違う主張を否定してしまいがちになります。
集団ストーカーの被害は人によって異なります。
集団ストーカーの犯人像も人によって異なります。
例えば、特定の宗教団体が集団ストーカーの正体であると考えている人は「宇宙人が集団ストーカーの正体などというのは馬鹿げている。宇宙人など存在するはずがない。そんなことを言っているから統合失調症だと言われるのだ。彼らは本当の統合失調症患者であり、我々とは違う」と主張します。
それに対して宇宙人が集団ストーカーの正体であると考えている人は「小さな宗教団体ごときにこのような芸当が出来るはずがない。この現象は宇宙人レベルでなければ成し得ない」と主張します。
また思考送信を受けていない被害者の場合は「電磁波犯罪など存在しない。彼らは集団ストーカーの被害者を統合失調症に見せかけようとする工作員である。集団ストーカーの正体は人間である」と主張します。
なぜ被害者によって主張が異なるのか、それは集団ストーカー現象のほとんどは被害者の脳内の操作によって行われているからです。
それは巧妙に現実とリンクさせて行われます。
現実での操作はすべて現実的なものです。幻覚を除けば、現実はそれほど大きく動きません。
現実の操作と同時に脳内の思考を操作することによって、考えられないような犯人像を多様に作り出しています。
思考送信が可能ということは、どのような犯人像でも作れるということです。
しかし、現実がひとつだけだと考えてしまうと、集団ストーカーの正体に迫り切れない可能性があります。
そのためにもうひとつの答え、被害者によって真実が異なる可能性にも触れておかなければなりません。
それは被害者が真実に到達できない説明にもなります。
真実は一つではない、これは言葉のレトリックではなく、本当に世界そのものが複数存在する可能性のことを言っています。
人によってそれぞれのパラレルワールドを持っており、その一部がこの世界で交錯しているようなイメージでしょうか。
被害者によって存在している世界が違うということは、被害者の数だけ真実があるということになります。
そうなると、創価犯人説も、宇宙人犯人説も、どちらも正しい真実ということになります。
ある被害者の世界では本当に集団ストーカーの正体は宗教団体であり、また別の被害者の世界では本当に宇宙人が集団ストーカーの正体であるということです。
さらには、集団ストーカーなど存在しないという答えさえも正解になる可能性があります。
人によっては、集団ストーカーの被害者は本当に統合失調症患者であり、被害者が受けている被害は妄想であるというのが真実となります。
この答えは矛盾してしまうように思えますが、集団ストーカーほどの高度なテクノロジーを持っていれば、そういった世界を作り出すことが可能なのかもしれません。それは集団ストーカーが自らの存在を消した世界です。
この世界の正体がバーチャルリアリティーであるならば、そういった多層次元のような答えも可能です。
意外に多くの科学者が、世界がホログラムやバーチャルリアリティーである可能性について説明しています。
集団ストーカーが存在するのですから、その答えもあり得るのです。
世界を作っているのは人間ではなく、おそらく集団ストーカーです。
人間が世界の真実を探れるはずがないのです。
集団ストーカーはすべてを操作できるわけですから、答えを変えることも自由自在です。
集団ストーカーと戦うためには、あらゆる可能性に対処できるように覚悟しておかなければなりません。
集団ストーカーは世界そのものをコントロールすることができるのです。
集団ストーカーは真実を変えてしまうという攻撃を得意としています。
すべてがコントロールされているのならば、集団ストーカーの問題は解決が不可能であるように思えますが、それでも生きているのですから、何か為すべきことはあるのでしょう。
当面は、集団ストーカーが仕掛けた言葉のレトリックと戦ってゆくことになります。
集団ストーカーと戦うためには世界そのものの理解も必要ですが、人間のコントロールを理解しなければ解決に向かいません。
世界の矛盾を暴き出すことにより、集団ストーカーの行動に制限を与えることが可能です。
この記事へのコメント
匿名
ここで自動生成される怒りをぶつけると風景は尚、一層ひどいものと成ります。この風景の中に、私の自由意志は反映されないことを嫌でも悟ります。
ですが、不思議ですね。強制の悟達。そうなると風景は乱されなくなり、風景は以前に戻っても、いいかも知れないとウソぶくのです。その様に設計されているのかも知れませんが、ここまで心のヒダを読む仕様はどこから来ているのでしょうか。驚きです。
おそらく、今回の台風ハギビスが、私を狙っていると思うのも無理からぬことです。何故なら、それは真実だからです。これが真実として成立し得る状況は何を指し示しているのか。つまり、この事象を成し得る実体はその背後に有る様で、無いかの様な存在であるという実力です。
最近の検証から、おそらく、人工知能の可能性が時間と歴史の整合性の上に、大きく揺らぐことは確認出来きる様です。ですが、侮れないのは、事象の最終意識に於いて、怒りや絶望的侮蔑を被害者の心の奥底に作為的に残し得るという、認めたくない事実です。
また、被害者にしてみれば明らかな犯罪であり、絶対悪であることは言うまでも有りません。
しかしながら、尋常な考察で洞察出来る様な、彼らでは無いのです。概念上の犯罪と同一視し、個人の正義感を煽る様な結果になれば、任犠牲者は人生の時間を奪われるばかりか、操作によって命そのものを落とすことになるのです。いいかげん、気付かなければ、いけない時に差し掛かっています。
MAGIC ULTRA
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コメントありがとうございます。
ESRT
匿名さんのおっしゃっている「無意識に心休まる一人きりの風景は無い」ことは残念でなりません。しかし、ある意味でそれ以上に価値のある “真実” を見せつけられているわけですから、この現象じたいに嘘がないと考えることなどわたしには到底できません。そして嘘とは、隠したいことがある時に、つかれるものですね。
複数の真実または複数の嘘により、真理など不可知であるという宗教/哲学の種が蒔かれたのは遠い昔です。人間には答えの出せぬもの、しかし抵抗する術は存在するのだと感じます。この(道徳心を持ち合わせた)世界が存在するということじたいがその希望の根拠です。
MAGIC ULTRA
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コメントありがとうございます。