いい人なのに悪い人というトリック

世の中には、モラルを間違って使っている人がたくさんいます。
特にマスコミなどは、意図的にモラルを混乱させようとしています。

100万人の命を救っても、一人の人間を自己都合で殺すことは許されません。
100万人を殺して、その後一人の人間の命を救ったとしても英雄とは言えません。

どんなに良い人間であったとしても、犯罪を犯したり人を傷つけることが許されるようにはなりません。

モラルアタックを仕掛ける人々は、加害者の人生がどれほど素晴らしいものであったかを語ろうとしますが、それは被害者の被害には関係がありません。
加害者がどれだけ良い行いをしてきても、被害者が生き返るわけではありません。

いい人と悪い人を同一線上で語ることは危険です。

いいことと悪いことは別物なのです。
一人の人間の命を救ったからといって、その人の命を自由にしていいわけではありません。

たったひとつでも悪いことをした人を、それ以外はいい人だからといって、いい人と呼ぶことには違和感があります。

悪いことをしない人はいない、嘘をつかない人はいない、生きていく上で必要悪は仕方がないと言われますが、言い方が極端すぎます。
その言い方では、モラルを考える上で思考停止に追い込まれてしまいます。また、敵はそれを狙っています。

許される悪いことと、許してはならない悪いことがあります。
意図的に悪を実行しよう、罪のない人を苦しめてやろうという悪は決して許してはなりません。
生きるために動物を殺すことはやむを得ないと思いますが、生きる上で心が豊かになるから、楽しいからといって、人をいじめることは許してはなりません。
少なくとも人間の心は守らなければなりません。

人間の価値判断は、いいことをした数と悪いことをした数の足し算や引き算では計算できません。
そうやって人の価値を計算する人がたくさん存在します。
結果的にそれらの人はモラルアタッカーとなっています。

集団ストーカーはモラルアタックを得意としています。

悪そうな人がいいことをしても、それはいいことでもありますが、悪いことでもあります。
悪そうな人がいい人かもしれないという誤解を与えるからです。
実は、悪そうという時点で悪なのです。
社会人は悪そうに見えないように努力するものです。
逆に悪く見えるように努力する人がたくさんいます。
これにより、いい人と悪い人が分からない人が増えてしまい、悪いことを取り締まることが難しくなります。
悪い人が迷彩のように隠されてしまい、そこに悪事が横行します。

良い方向の自由は許されず、悪い方向の自由は声高に主張されます。
利己主義という悪の論理です。

いい人だからということで、何をしても許される風潮が作り上げられています。
いい人かも知れないということで、悪い人を取り締まれない風潮が作り上げられています。
能力があるから、大切な人だから、好感が持てるからといった理由で悪が見逃されています。
悪はそうしてカモフラージュして、身を守っています。

集団ストーカーは被害者の自由を奪いながら、世の中の自由という名目で被害者を苦しめます。
そもそも、世の中のモラルを設定しているのが集団ストーカーなのです。

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