選択の欠如

世の中には様々な選択肢があるかのように見えていますが、すべての選択肢は集団ストーカーによって塞がれたり、嫌がらせによる心理的な制限、嫌がらせによる直接の妨害などで、結局進める道は何処にもありません。

右に行こうとすれば右を塞がれ、左を向けば左を叩かれ、上を向けば雨を降らされ、下を向けば笑われる。
後ろからは熱風が迫り、前には針の道。それでも進めば吹雪に晒される。

それは集団ストーカーの被害者だけではありません。
世の中のかたちそのものがそのように設計されています。

ルールや倫理を曖昧にすることで、どちらを選択したとしても責められる。
すべての人間の経験をまとめれば、どちらの選択がより正しいのか分かりますが、そのデータが示されません。
ルールの曖昧さは、集団ストーカーによるニュースのでっち上げによって、結果がどちらにも転ぶことをほのめかされることで心理的に追及しにくいように操作されて作られます。


物事には複数の要素があることが多く、さらにその要素の解釈は状況によって変わるため、その基礎を曖昧にすれば、議論は延々と決着を見ないことになります。
これが論点ずらし、解釈ずらし、要素ずらしという議論の嫌がらせになります。
これを数で圧倒するように行うことで、正常性バイアスを引き起こし、真実を有耶無耶にすることが出来ます。
世の中の議論のほとんどがこれに当たります。

これは数や立場などを利用して行うパワーハラスメントであるため、議論の本質を見抜かない限り、真実は捻じ曲げられることになります。

残念ながら、これを切り抜けられる人は多くありません。
世の中の実情が物語っています。

政治家や弁護士、警察や科学者などが言葉を濁し続けていれば、誰も正しい判断が出来なくなります。

この、議論が進まないという現状こそが、この世界が何者かの圧力によって制限がかかっているという証拠であり、この世界がシミュレーションによる2次的なものである可能性にまで繋がります。

その圧力や制限の力のことを集団ストーカーと呼んでいます。

ですから、集団ストーカーの犯人像は想像よりも巨大なものであり、個人が狙われる理由という考え方などとは次元が異なります。

世界の成り立ち自体にも、例えば光の速度には限界があり、その制限の理由が分からなかったり、自分の思うように進めない、人間が生きやすいようにならない何らかの目に見えない制限があるという、個人的な不都合など、疑問があります。

ほとんどの人々は直感で物事を判断するため、そこまで疑問を追求することはありません。
正常性バイアスによって、ほとんどの人はコントロールされているということです。

集団ストーカー現象は、統合失調症患者の妄想であるというデタラメな論理による思考停止。
統合失調症患者を集団ストーカー被害者として登場させる集団ストーカーによる周到な罠。
こんな単純な罠を見抜けない人々。

それは彼らにとって、見抜かない方が楽なのです。
精神病の仕組みが分からなくても、同時多発的に同じ被害妄想を訴える人が現れるという奇妙な現象は、精神病によって現れるものだと信じてしまう。
そのようなメカニズムはあり得ません。
人間の脳にそこまでの超能力のような潜在力はさすがに無いと思います。

それは直接的な議論をもって、その流れを見ることで追及しなければ、誰もそれを認めようとはしません。

世の中こそが真実なのか、それは正常性バイアスによる偽物であって、世の中そのものは真実ではありません。

世の中の事象は2次的なものであり、それは実際に何らかの力で歪められている。

それは大衆の選択の欠如という形で、誰の目にもはっきりと見えているはずです。

その不自然さこそがすべての答えでしょう。

この世界が自然なものであると認識するか、不自然なものであると認識するか、この選択を間違えれば、永遠に正しい答えは出ません。

一般の人の場合、選択が欠如していると言われても、何のことなのか良く分からない人も多いでしょう。

自由に選択できていると思い込んでいるわけです。

集団ストーカーの被害者の場合は、嫌というほど選択不可能な世の中を味わっていますから、この世の中の異常さは嫌と言うほど分かっています。

身近な例で言うと、有給休暇が取りにくいというものがあります。
そんなものは簡単に取れるという人もいるでしょうが、ほとんどの人は取りにくい状況にあります。
それは日本だけだという指摘もあるかもしれませんが、我々こそが嫌がらせの対象ですから、世界の中心は日本なのです。
嫌がらせの中心地こそが、世界の中心です。

これが嫌がらせの本質であり、その延長に集団ストーカーの嫌がらせがあります。

真実とは何かという定義を話さなくてはなりません。

目に見えるものが真実ではありません。

人間の意識が自発的なものではなく、2次的なものであるのなら、1次的なものこそが真実です。
人間の意識が自発的であるという兆候は見られません。
それは集団ストーカーのようにコントロールされている限り、また機械的に集団ストーカーを否定する限り、すべての人間がそうなのです。

事実、世の中の理不尽さに抵抗できる人間が存在しません。
そこから見える世界こそが、私が主張している真実です。

それだけでなく、数多くの人々が集団ストーカーの被害を主張しているわけですから、制限が存在することを実感している人間と、世界は自由であると実感している人間が存在していることになります。

制限が自然なものなのかどうか、制限の理由を言葉で説明できるかどうかが、真実の判断基準になります。

人間は選択できていない。
嫌がる人々を、解放できていない。
それはすべての要素で達成できなければならないものです。

自由などほとんどない。
その理由を誰も説明できない。
それは社会による圧力ですが、その社会が人間を苦しめる仕組みになっている理由を誰も説明できない。
資本主義の奴隷になっていると感じている人が多過ぎる。

間違いなく、自由な選択は出来ません。よって、世の中に何らかの制限が存在するということが真実です。

その制限を、広い意味で集団ストーカーと呼んでいるのです。
そして、その力を持つ存在こそが集団ストーカーです。

それは形のあるものとは限りません。
見えるものでなければ信じないと言うのなら、それは永遠に見えないかもしれません。

この記事へのコメント

  • ワイデラ

    こんにちわ
    いつも拝見し参考にさせて貰っています。集ストを広い観点から分析されていると思われ大変参考になります。
    あくまでも、これは私の考えと言う事を前置きしての話ですが、この事象はテク犯も含めてある種の意思と結果のみあるという事です。
    奇妙な言い方ですが、そのプロセス自体が存在しないのです。なので綻びも出ないのではなく、それ自体存在しない分けです。
    被害者の人生から自然な確率やカオスが消されたと同じ意味です。他者と被害者の間で意識の反射と増幅が起こります。
    被害者は自身の意識内のみでプロセスと結果を完結しなければならないという構図です。
    認識させられていない社会一般の人々も、この事象に包括されています。ただ一見自然に見える確率やカオスも、恣意的調整の中にあるということです。
    悲観的になるのは良くありませんが、周知が進めば事態が好転するという性質のものでは有りません。被害認識者も一定数を保持すると思います。
    数百年という時間単位の中で、解決の道筋が見えて来るでしょう。
    2017年10月17日 18:42
  • MAGIC ULTRA


    >ワイデラさん

    こんにちわ、コメントありがとうございます。

    コメントは大変参考になります。

    ほとんど手掛かりがない状態で、一人でこの事象を調べるのは困難で、さらに既存の情報が嘘かもしれないということになると、またゼロから考えていくのは、一人では無理かもしれないと考えていました。
    被害者のブログがたくさんありますので、なんとかこの事象について、確信が持てるようになりました。

    要素と作用については、ひょっとしたら人によって違うかもしれないと考えています。

    プロセスの直結、あるいはプロセスそのものの省略はあり得る考えだと思います。
    人によっては見せかけのプロセスが用意されているということでしょうか。

    意識こそがすべてという考えも納得です。
    一人で解決するか、あるいは見せかけでも協力して解決するか、これはストーリーの違いでしょうか。
    集団ストーカーは、どの部分にも、どのような作用でも操作することが出来るようです。

    戦う人と待つ人、あきらめる人、3種類の被害者が存在します。
    どれも結果は変わらないかもしれませんが、なんらかの作用が起こるのかもしれません。
    2017年10月17日 22:50