マスコミの流すニュースは、ほとんどが正義を啓蒙するためのニュースですが、ニュース以外のドラマなどではむしろ悪が啓蒙されることもよくあります。
一見矛盾しているように見えますが、おそらく情報の範囲を広げて、疑似的な自由の感覚を作り出しているのでしょう。
正義も悪も自由、そのようにして、人間同士で争い合う基盤を作り出します。
その結果、新しいニュースが次々と、一見自然なように現れます。
誰もマスコミの情報を疑うことなく、ある人は悪に憧れて悪になり、ある人はニュースを見て正義に感化され、争い合うことになります。
正義と悪と、どちらが正しいのかという問いには、正義であると答えます。
ミスリードもありますが、悪は本来、間違っているから悪と認定されます。
間違っていなければ悪とは呼ばれません。
マスコミでは、悪にも正しい部分はあるという間違った情報を流すことで、若い人々を騙します。
真に受けた若い人々は、正義をかざす人にも悪い人はいる、悪人にも正しい人はいるという、完全に間違えた感覚を植え付けられます。
それは極端な考えで、人間の素性を誤認しています。
これで悪い人間が堂々と生きることが出来る、良い人間にとっては生きにくい世の中が完成します。
三つ子の魂百まで、ということわざもある通り、一度でも悪に染まった人間は、一生、悪を正当化し続けたり、美化し続ける傾向があります。
悪に囚われた心を矯正するためには、よほど強い悪をなすことへのデメリットを与えなければなりません。
これが正義です。
つまり、悪が存在することで、それに対抗するための正義が初めて生まれます。
悪が存在しなければ正義も存在しません。
悪が存在しない場合の正義は、モラルや道徳などの別の意味になります。
本来の正義の意味とは、悪に対抗するための正義という意味です。
世の中ではミスリードが盛んに行われ、それぞれ都合のいい正義と悪という意味を独自に当てはめて歪めて使っていますから、正義と悪が正確に分からなくなっている人も多いでしょう。
最も大切なことは、正義とは万人に通用するものでなければならないということです。
ただし、その万人の中に悪人は含まれません。
悪人は除外します。これが難しいところです。
一部の人間だけでなく、万人が平和に楽しくなるようなことでなければ正義ではありません。
その正義が重荷になったり、疑問に感じることからも悪は生まれます。
正義に疑問を持つよりも前に、悪に疑問を持たなくてはなりませんが、世の中はそのようには動かないようです。
悪のメカニズムの追及は、どの情報でも出回っていません。
世の中にはこれほど正義があふれているのに、その対策は消極的で極めて遅い。
この不自然さです。
悪が存在しない世の中はつまらないと考える人が多いようです。
少数の被害者が、地獄のような気持ちで打ちひしがれ苦しんでいるのに、それを無視して、あるいはそれを楽しみながら眺める人々がたくさんいます。
それはなぜなのかということを考える人も少ないようです。
答えが出ないからでしょう。
その答えは誰もが信じられないものですから、知らなくて当然です。
この記事へのコメント
MAGIC ULTRA
数字合わせ、大衆性のあるものをターゲット用にすり替える操作、人生のストーリーを強制し、他の何かとシンクロさせる操作、テクノロジー犯罪の限界が知れませんね。