人生とは違うもの

みんな人生を生きていると思い込んでいるわけですが、集団ストーカーの被害者の場合、これは人生とは形容できないものです。

人生でないとすると、これは一体何なのか。
そんなものは誰も経験していませんから、その形容は難しいのです。

人によって違うと思いますが、人生は暇潰しであるという年寄りが多いのは、それが真実であることに気付いていたからでしょう。

もはや命があるのか、自分や世界の実体すら分かりませんが、まだまだ人生は終わりません。

規律は一切ぶれませんが、現象の確率が大きく地味に変化します。

人生が暇潰しであったとしても、つまらないだけの人生では、人生そのものに対する認識をさらに変えなければなりません。

何をしたとしても、すぐに嫌がらせを受けて気分を害します。

死の先に向けての精神修行プログラムのようですが、死の先に何があるのか見えませんので、判断が分かれるところです。

最終的に、これは人間対人間のプログラムではない兆候も見えます。
つまり、この嫌がらせは自分一人でも完結するのです。
テクノロジー犯罪の被害者の被害内容が、その可能性を示しています。

人生のほとんどの時間を嫌な思いで過ごしている。
対処できていない場合がほとんどですから、ただひたすら嵐が過ぎて行動できるようになるまで耐え続けているようなものです。

人生というよりは、人生が始まる前の準備期間のようなものであり、その準備期間のうちに人生が終わってしまうかもしれない板挟みです。

我々が体験しているものは、人生がうまくゆく可能性を傍観しながら、自分は何か見えない力に押さえつけられ、嫌がらせによって行動や人生を奪われ、何もできないまま終わる何かです。
人生というものに似ていますが、自由がありませんので、悪夢のような体験プログラムのようです。

すべての人間の行動が普通ではなく、何かに操られているような動きしかしません。
私が望む普通の反応をしてくれることはありません。

普通というのは、人間として自然な動きのことです。
例えば、偶然街中を歩いているとか、それがありません。必ずコリジョンキャンペーンかストリートシアターのような動きになります。

我々はその答えを知っています。
世の中のすべての事象が、何者かによってコントロールされているのです。
しかし、それが何者なのかが分かりませんので、とりあえず集団ストーカーと呼んでいます。

キーワードはいくつか出てきています。
コンピューター、バーチャルリアリティー、人工知能。
しかし、今はそのキーワードをそのまま受け取れる段階ではありません。

集団ストーカー現象とは、生きることに対する侮辱です。
生きる上で必要な行動に、必ず嫌がらせを仕掛けられます。
だから、これを人生と呼ぶわけにはいかないのです。
これは嫌なことを受け入れるというレベルの話ではなく、人生に悪意を混ぜ込む存在がいるという話です。

レベルの低い話ではありません。むしろとても理解が難しい話であり、精神病を信じているレベルではとても理解できる話ではありません。

確かに、事象を理解するのは脳であり、すべては脳に投影されたものです。
脳に異常が起きれば、事象は捻じ曲がる。あるいは全く別のものが投影される。
理論的にはその通りです。

しかし、事象を操作している証拠がわざわざ介入してくる余地は、精神病にはないのです。
証拠たる仄めかしはほぼ確実に起こります。
これが精神病で起こるなら、自分の精神を予測する精神が存在し、しかもそれは世界の事象をも予測しているということになります。
それは超能力です。あらかじめ情報がインプットされた精神などあり得ません。

正確に言うとあり得る。
もしそうだとしたら、人間の精神とは何なのか。
結局のところ、何かにつながっているということになります。

そう考えるくらいなら、すべては思考送信による事象であると考えた方が現実的なわけです。

世界の正体は分かりません。
どちらが正しい答えなのか、あるいはどちらも間違っているのか分かりません。

ただ、その事象は起きている。
それは嘘ではなく、真実であり、誤解でも勘違いでもない。
勘違いであるなら、その仕組みを説明してもらいたいものだが、その説明はあまりに馬鹿馬鹿しいものばかりで、この事象をある程度正確に説明できる人間は、今のところこの事象を経験した者だけです。
予測や想像でそれを説明しようとしても、精神病だという思い込みが必ず入り、事象の認識がずれたり、全く別の事象の説明になったりします。
我々にはそれがあまりに馬鹿馬鹿しい認識レベルなので、わざとミスリードしていると感じるわけです。

説明をする上の理由で、また集団ストーカーや一般の人々との情報のやり取りを想定して、私が集団ストーカーの被害者であるかどうかは明言していないのですが、それは同じ被害者であっても見分けるのが困難です。
どのみちそれが本物の被害者なのかフェイクなのか、誰も分かりません。

私が感じるのは、生まれる前から人生は破壊されていたのではないか、もしくは最初から破壊されるために人生が始まったのではないかということです。
そういったタイプの被害者も少なからず見受けられます。

そうなると、集団ストーカーという何かが存在しているという考えではなく、この世界そのものが集団ストーカーによって作り出されたものという考えに変わります。

パラダイムシフトという考え方です。
パラダイムシフトは考え方の土台そのものを操作されるものです。
集団ストーカーという事象そのものがパラダイムシフトという嫌がらせです。
被害者の常識が書き換えられ、一般の人々と常識が衝突することになる嫌がらせです。

気象操作という現象を経験している被害者も少なからず存在するようです。
集団ストーカーの被害の範囲はあまりに広いのです。

どこまでが思い込みや勘違い、妄想なのかをしっかりと見極めなければなりませんが、集団ストーカー現象とは、思い込みや勘違い、妄想を誘発させる嫌がらせです。
その事象には本人の思い込みというよりは、集団ストーカーの介入があります。

それは被害者だけではありません。
一般の人も、すべての人々が集団ストーカーによる妄想、思い込み、勘違いの誘発による嫌がらせにコントロールされています。

すべては集団ストーカーによる嫌がらせである。
人間に主体性はない。
敵は明らかに命や人生を侮辱し、否定してきます。

人生という言葉に惑わされたり、無理に人生という枠組みがあると考える必要はないでしょう。
場合によっては、我々は人生とは違う何かを見据えなければなりません。

それは宇宙との一体化ではなく、来世でもなく、宗教でもなく、自分の中の何かかも知れませんし、他人の中にあるものかも知れませんし、世の中に出回っていない情報の何かかも知れません。

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