感情という言い訳

感情を過大に尊いものであるとする考え方があります。

これには洗脳的な要素が含まれています。

特に、反射的な怒りに対して、それを言い訳に使う論理がまかり通っています。

人間は怒りの感情をコントロールして生活しているのであり、それは幼児の段階でほぼ完成します。

よく、自分は怒りっぽい性格だという人がいますが、それはただの成長の遅れであり、言い訳です。
人間の性格は、ほぼ全員同じです。
育った環境により、それが修正されたか、されなかったかの違いです。

これを性格の違いであると、世間は押し通そうとします。
これで、迷惑な人間を、堂々と世の中に存在させることが出来るようになるわけです。

感情の強弱と、それを表現することは別物です。

感情をコントロールできないのは、要は自分に甘いのです。
場合によっては世の中をなめているということもあるでしょう。

もし、先天的に情緒が不安定であるなら、それこそ病気です。
怒りっぽいという人は、統合失調症とは比較にならないほどの大きな精神病です。

それは脳内物質の分泌が、大きく偏っているものと思われます。
しかし、どの医学者も、性格の違いを脳の病気であるとは認めません。
それがただの言い訳であることを知っているからです。

自分は怒りっぽいからとか、自分は不良だったとか、そういった空論のような自慢話を聞かされてうんざりする人も多いでしょう。
強く見せかけたいから不良やヤクザになるのだという本当の理論が隠されています。
彼らは世の中の仕組みを利用して、ズルをしているだけの話です。
その気になればいくらでも脅しをかけて、一瞬で性格を矯正することは出来るのですが、彼らは世の中の怠慢を利用して、うまくそれをかわし続けます。

強力に脅しをかければ、彼らの性格は一秒で変わります。
それを阻んでいるのは世の中です。
アウトローをはびこらせているのは、マスコミを中心とした世の中です。
真実を脅しのようなもので隠してしまう、厄介なシステムです。
アウトローは馬鹿を装っていますが、実際にそれを操っているのはマスコミや政治家です。

怒りの反応はみんな同じです。
それが通るか通らないかは、警察の態度や法律、周囲の反応に依ります。

彼らと戦えば、警察の理不尽な判断を目の当たりにすることになるでしょう。
政治家も露骨にアウトロー側の味方をします。

感動という感情も、ほとんどわざとらしい演出のものばかりで、そんなに頻繁に、過大に感じるようなものではないでしょう。
テレビによる感動の押し付けなどは、苦痛に感じるほどです。

感情というものは、人間が理性的には動かないことがあるという不確定性を作り出すために必要なのです。
何が起こるか分からないという不確定性の演出、こんなわざとらしい人生の演出を、みんな好んで受け入れているように見えます。

実際は感動も感情も、それほど必要なものではないでしょう。
それは動物的な本能に近いものですから、人間関係で発揮する場面は、本来であればないはずです。
怒りを発揮するような場面では、本来は口頭での注意しか方法はありませんが、注意を聞かないで済むような世の中に問題があります。

感動を頻繁に求めようとするのは、中毒に近いものです。
それを求めすぎると生活が歪みます。

感情論の押し付けが起きた場合、それを指摘し、即座に論破しなければなりません。
感情が正論であるような素振りで、無理強いすることを許してはなりません。

そして、世の中のほとんどは、ドラマ仕立ての洗脳なのだということに、気付くべきでしょう。

感情をコントロールしなくても許される人間がいる。
普通に働いていれば、とてもそれは無理なのです。
ところが巧妙な態度で、それが許される立場の人間がいる。

それは大きなずれです。
この世の中の歪みの正体が何であるのか、説明できる人はいません。
それはくれぐれも、自然とそうなっているわけではないことを理解するべきでしょう。

自然であるなら、こんなに世の中の人々が馬鹿であるはずがないのです。
どうすれば最適な答えを計算できるのか、みんな知っているのです。
それを怠っているのは怠慢であり、ズルをしようとしているのです。

こういった低レベルな応酬によって、真実が隠されます。
こうして、嫌がらせが横行する土台が作られています。

アウトロー気取りくらいに目くじらを立てなくてもという意見もありますが、そこが善悪の分かれ目であり、命の価値、人間の存在価値の分かれ目です。

本当の悪とは、悪事を働くこと以上に、悪を気取ることです。
それは無限の悪の根源となり、根拠となり、礎となります。

自分は怒りっぽいという主張は、自分は攻撃性が高い、他人を傷つけることをためらわない、ひいては他人の命の価値を貶めていることに繋がります。

アウトローはただのファッションではなく、命の侮辱へ直結しています。
アウトロー気取りは感情の迷いであり、他人の命の価値を否定する行為です。
そしてそれが人間の、アウトローの本質です。
結局誰もが、他人の命など尊重せずに、それどころか軽視しているのです。

命の軽視は、マスコミ等による一般市民への挑発と誘導です。

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