倫理はひとつ

悪であるとか、悪いことであるとか、やってはいけないことなどを議論するときに、まるで倫理が人によって違うかのような情報操作を行う者がいます。

いわゆる情報の複雑化を行い、真実を煙に巻く嫌がらせです。

倫理は単純で簡単なもので、それは基本的にひとつしかありませんし、人によって変わるものでもありません。
誰でも二者択一で考えれば分かるもので、判断できないのは、よほど意識がはっきりしていない人間だけです。
人間がされて嫌なことは、みんな同じです。
違うと言っている方がおかしいのです。

マスコミ及びインターネットでの倫理の攪乱が止まりません。

倫理は難しいものではありません。
人間として当たり前のことを当たり前にすれば誰でも守れるものであり、世界全人類誰一人としてそれを守ったからといって不利益を受けるようなものではありません。

モラルを守ることで不利益を受けると考えている人間は、どこかで既にずるをしている人間です。



他人を意図的に傷つけてはならない。

他人を傷つけるかもしれない行動は、傷つけないように最大の配慮をしなければならない。

社会は他人を傷つけるかもしれない行為を周知しなければならない。


この当たり前のことをすべての物事に適用し、当たり前のように守ればいいだけの話です。

上に挙げた原則の中で決定的に欠けているものがあります。

社会は他人を傷つけるかもしれない行為を十分に周知していないのです。
社会はすべてを見ている存在ですから、どうすれば人々が衝突しないようにできるか知っています。そしてそれを周知する義務があります。
それがないのです。

それがこの世界の正体です。

倫理観は、我々がちょっと考えただけでも簡単に分かるものです。
どうすれば人々が衝突せずに済むかも、誰でも知っているはずです。
ところがこの世界は、その衝突を回避するような仕組みにするどころか、わざと衝突を増やすようなコントロールをしています。

それがあまりにもわざとらしく、低レベルであるので、我々は怒っているのです。
集団ストーカーの被害者の方がまともであると主張したいのですが、それを言ってしまうと、ややショッキングなイメージになってしまいますので、表現を和らげている次第です。

戦争は、原因を相手に聞いて、世界が見守る中、話し合いで解決すればいいだろうと思います。
暴力団など撲滅してしまえばいいだろうと思います。暴力団が存在しないデメリットなどまやかしです。
タバコや酒などのマナー違反は、目に見えて明らかなのですから、テレビでそのマナー違反を放送して周知撲滅すればいいだろうと思います。簡単なことでしょう。

粗暴な人間やアウトローをかざして威嚇しようとする人間が通用しているのは、マスコミがお墨付きを与えているからです。
普通に考えれば彼らがまともに働ける場所はないはずです。
真面目に働いている我々が、仕事でわずかに相手に嫌な思いをさせただけで、大変なペナルティーを受けるわけですから、アウトローでは仕事になるはずがありません。
我々でさえそのようにして強制的に矯正されているわけですから、アウトローがペナルティーを受けない社会が不公平でおかしいのです。

3歳の子供でも分かることが、大人の社会では分からなくなる。とてつもない痴呆が発生している。
この事実を知っているのは我々だけではないはずです。
一般の人々も、世の中がおかし過ぎることは知っているはずです。

だからといって、集団ストーカーがそれをやっているのだと言って、信じる人はいないでしょう。

集団ストーカーは、世界を作っているひとつのシステムです。
世界そのものと言い換えてもいいでしょう。
だから、逃げるのではなく、変えなければならないのです。

倫理がおかしいことを放置しない、これが大切なことです。

ただし敵は甘くありません。必ず直した部分、対処した部分を攻撃してきます。

例えばお年寄りに席を譲る、すると舌打ちされる。
ゴミなどを拾いゴミ箱に入れる。すると周囲の人々から笑われる。
タバコのポイ捨てを注意する。すると逆に警察を呼ばれて言いがかりをつけられたと訴えられる。

これが集団ストーカー現象です。どれほど驚異的で厄介なものか、そして敵のレベルの恐ろしさが分かるでしょうか。すべて計算ずくで、わざと注意させて、それをするのです。
実際はその例よりも遥かに複雑で、逃げられない状況を作られた上で嫌がらせをされます。

何のために集団ストーカーはそんなことをしているのか、ではなく、全員がそれをされているのです。
世の中がおかしいということは、被害者は被害者だけではなく、一般の人も被害者なのです。

正確に倫理の動向を見れば、倫理の歪みに気づくはずですが、誰も気づかないようです。
人間が神秘的なものであると信じてしまっているため、人間の行動パターンが広く取られすぎているためでしょうか。

人間は神秘的なものではないが、集団ストーカーは存在する。あまりにややこしい表現ですが、それが真実です。確かにどう見てもそれは矛盾しているようにしか見えないでしょう。

真実はひとつとは限らないが、倫理はひとつである。
これも矛盾しません。
人々が共存するためには、相手の真実は認めなければならない。
しかし、倫理はひとつにしなければ、共存は難しい。

倫理は人間が勝手に作れるものですから、全員が致命的なことにならないようにうまくひとつにまとめるべきでしょう。
高いレベルの問題までモラルで縛る必要はありませんが、まとめられるレベルのものはたくさんあるはずです。
騒音のガイドライン、心理的なガイドライン、人間関係のガイドライン。

選挙カーによる騒音など、深夜に働いている人にとっては極めて迷惑なものです。
やめても誰も問題がありません。
日本の選挙カーをうるさいと言って外国人が襲撃したというニュースもありました。
なくなると寂しいと言っている人がおかしいのです。
しかも、これでろくな政治家がいないのですから、ますます頭に来ます。
選挙カーによる騒音は、警察にも通報が相次いでいるようですが、取り締まる法律がないのが現状です。
市民の生活を奪いながらの選挙活動、政治家の底が知れます。

倫理の議論においては、意見が分かれること自体がおかしなことです。

人間の性向は同じですから、基本的に倫理はひとつしかありません。

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