自由意志は存在するのか

永遠の命題として、未だに答えが出ないものに、人間に自由意志はあるのかという問題があります。

物理学、宇宙学の立場からは自由意志はあってはならないもの、すべてが因果の内に、物理的な化学反応の範疇で行われていなければなりません。

しかし、直感的に、もしくは宗教的には、人間には自由意志があるものと考えられてきました。
自由意志がないとすると、倫理や法律を、根本的に見直さなければなりません。

我々の思考は宇宙の流れに沿った化学反応ではなく、自らの意思で考えている、自分には自由意志が存在する。自分の考えは自分で決めている。
しかし、科学による検証では、ことごとく自由意志に否定的な結果が発表され続けています。
我々が意志だと思っているものは、また自分の考えは、化学反応による結果であり、我々は思考が存在すると、自分の力で考えていると思い込んでいるのに過ぎない。

現在の科学力は、とてもその答えを出せるような段階ではありません。

自由意志が存在するとなると、宇宙学や物理学は根本的に覆り、宇宙には我々の知らない神の力が流れているということになります。物理学を超えた、人間という特異点があることになります。

現在、学問の世界ではそれらは完全に乖離しており、自由意志については宗教的にタブー視されていて、まだ解禁されていないに等しい状態です。

科学者は、とりあえず自由意志はないものとして、人間の思考は宇宙が始まった時から決定されている化学反応の一部であるとし、もしくは特異点として全く視野に入れずに考えています。

自分の思考が自由なものではなく、すべて化学反応によって決定されているものという考えは、確かに直感的に受け入れがたいものです。しかし科学の答えでは、自由意志は存在しないのです。

もし自分の自由意志を信じたいのなら、科学を否定して宗教に走らなければなりません。

自由意志の研究は、完全にタブーの学問領域です。
だから科学者でさえも、神は存在すると言うしかないのです。

ほとんどの科学者は、自由意志の存在に否定的です。
人間の思考は化学反応によって作り出された幻であり、自分で考えていると思い込んでいるだけの、すべて物理的な流れには逆らえない、運命に沿った動きである。

だとすると、ドラマチックな人生を送っていると思い込んでいる人々は一体何だったのか。
天才的なひらめきに感動している人々は一体何だったのか。

すべて決定した、火山の噴火と同じ、風の流れと同じ、物理現象の一部だったとしたら。


集団ストーカーとは、実はこの自由意志を創造するプログラムのような要素があります。

正確には、自由意志ではなく、人間に自由意志を持っていると思い込ませるために、外部から思考をコントロールして信じられない事象、確率の低い事象を人生に混ぜ込んでくるプログラムである。

これで人間は自らを神秘的なもの、自由意志を持った尊い生命体であると錯覚し、信じこむ。
さながら集団ストーカーは、かつての人間が作り出した、人間に錯覚を与えて疑似的な自由意志を作り出す神のようなプログラムである。

しかし生きている生命体であるなら、時には夢から醒めることも必要である。それが嫌がらせによる強制覚醒プログラムである。
それが集団ストーカーの正体である。

この世界に自由意志がないとしても、集団ストーカーが住んでいる世界には自由意志があるのか、あるいは集団ストーカーにも自由意志がないことが分かっていて、それで自由意志を作り出そうとしているのか。それが叶わずに我々に自由意志のような幻を見せているのか。

その情報は隠されていますから、答えは出ません。
嫌がらせは、我々と同じ人間が実行している可能性もあります。

根本的にこれらの情報も洗脳のためのミスリードである可能性があります。
分かりそうなことが分からないという不自然な現実。
分からないことが次々と露見する不思議な情報開示。
順序通りに整然と進むシナリオのような情報。

集団ストーカーが存在する場合、科学の情報もすべてミスリードである可能性がありますから、すべての情報の土台が成り立ちません。

かと言って直観さえも操られている可能性がありますから、この中で思考を進めるというのは困難です。

我々は既に、価値という概念、価値観にはこだわっていません。
しかし、正義にはこだわっています。
それは我々の命に直結するからです。

それすらもシナリオだとしたら、現実すら存在しないかもしれません。

我思う、故に我在りというようなことを言った人がいましたが、今となっては科学がそれを否定する時代になってしまいました。

確かなものは何もないのですが、それを強力に打ち消そうとするのが嫌がらせという手法です。
それは理論ではなく感情や感覚を攻撃します。

間違えてはならないのは、自由意志があったとしてもなかったとしても、集団ストーカーを撲滅することは可能だということです。
集団ストーカーが存在するということは、神が存在するというのと、似たような話です。
ただし集団ストーカーというのは嫌がらせですから、これを自由にさせてはならない。

何重もの意味を持つ言葉でそれを説明することは難しいことです。
必ず言葉のダブルミーニングを仕掛ける敵が現れる。

情報でしか伝わらない。情報はどのようにもコントロールが可能で、それを自由にできる存在がいるのだということを伝えなくてはならない。だから我々の情報が正確に伝わらないのだということを。

もし洗脳されているのなら、その情報を書き換えなくてはならない。

我々が知っているただ一つの真実は、集団ストーカーの存在である。
これだけは伝えなくてはなりません。

嫌がらせというものは、最悪の存在証明です。

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