無知の構図

集団ストーカーの周知に関係することですが、人々の無知がどのような仕組みであるか理解することは必要です。

無知の最大の原因は若さです。
これはどうすることもできません。
圧倒的に経験、思考の時間が他人よりも短いわけですから、すべてが少なく、正しい理解をするのは困難になります。
問題なのは、若くても経験則は活きるという洗脳です。

経験則というのはその人個人のものでしかありませんから、基本的に他人にはそのままでは適用できないものです。しかし、若い人はそれをそのまま適用して考えてしまいます。
自分と他人は同じであるという洗脳が世の中にあるからです。
それは8割方正しい考えですが、2割程度間違いを引き起こします。そのリスクの経験をしていないわけですから、若い場合、なおさら経験則で判断することは危険です。
もちろん若くなくても間違いの確率は下がるものの、リスクがあることに違いはありません。

とにかく、経験則というものですべてを判断することは不可能ということです。
特に集団ストーカーは経験している人としていない人ではっきりと分かれますから、それを信じたくないという思いがあれば、それは宗教のように後々思考を呪縛することになります。

それと宗教が洗脳であるというのは洗脳であり思い込みです。
宗教自体は哲学に近いものであり、むしろ洗脳からの解放を促すものです。
宗教は手段であり、それは宗教によっても変わります。すべてが同じではありません。
マスコミのニュースに騙されると、奇妙な宗教に洗脳されるという思い込みや、集団ストーカーは統合失調症の症状であるという思い込みが発生します。

一つ目に経験則に頼りすぎないということが必要です。

マスコミなど他人や権威の情報を信じすぎない。それは参考にとどめ、判断は相手や周囲、自分の意見だけでなく、真実は分かりえない可能性も考えながら判断しなければなりません。
真実は分からないのだということが分かっていない人が多いように思います。
それは何も分からないということではなく、最終的に答えが逆転したり変わる可能性もあるのだということです。
世の中に絶対はありますが、判断や思い込みを絶対のレベルで行ってはいけないということです。
若い人ほどそれを行いやすいようです。

年齢のレベルと無知のレベルはかなり比例していることに留意するべきでしょう。
ただし、それは外部の教育の力によってどうとでもコントロールすることができます。
天然の天才は存在しませんが、人間の力があれば天才を作り出すことは簡単なことです。


二十歳の意見は重要という人がいますが、これが厄介なのです。
二十歳で正確な判断が出来るはずがないのに、それをやらせる。政治家の思うつぼの答えを二十歳の人々は出してしまう危険が高いのです。
右翼にしろ左翼にしろ、それは政治家が100パーセントコントロールしているのだということを知らなければなりません。
インターネットの右翼の意見も、左翼政党も、すべて自民党の計算通りの動きなのです。100パーセント動きをコントロールされてしまっているのです。
自民党はそれほどの能力を持っています。
政権交代したり、失態を繰り返しているのはカモフラージュです。
政治家が全員馬鹿なふりをしているのもカモフラージュでしょう。

すべての人心を計算できる学者がついているのですから、政治家がミスをするとは考えにくいのです。
すべて茶番劇であると考えなければつじつまが合いません。

豊洲市場の問題にしろ、加計学園の問題にしろ、素人ですらおかしいと分かる問題を、ニュースのプロや政治のプロが処理できないはずがないのです。
どう考えても茶番です。
この俯瞰ができないという問題は洗脳によるものですが、この視点の狭さというのも無知の原因の一つです。

長いものには巻かれないことが必要です。
それは時に地獄へとつながってしまいますが、そういった世の中が問題なのです。


結論として、特に問題なのが経験則でものを語るということです。

よく相手の気持ちになって考えろと言いますが、気持ちになるだけでは全く理解できない事柄もあるのです。

相手の経験を自分の少ない経験則の中で測ってはなりませんし、正確に理解できると思い込んでもなりません。
それを無理に理解しようとするから、事実と全く違う、短絡したでたらめな答えが出るのです。

特に集団ストーカーの場合、ほとんどの情報がミスリードですから、その中から正確な情報を見つけ出すこと自体が困難です。
たった一つか二つの被害者の話が精神病に近いものだったからと言って、被害者全員を精神病だと判断するのは無謀です。
そう思い込みたい気持ちは分かりますが、この話は精神の中だけではなく、外の話の方が多いのです。
人によっては全く精神は関係なく、ひたすら実際に嫌がらせを繰り返されている被害者もいます。

それは信じるか信じないかは別として、はっきりと動画で見ることが出来るわけです。
信じたくないからといって、その動画の事実までは否定できません。
例えば不審者が叫びながら目の前を通り過ぎる動画などは、どう考えても被害者の精神の問題ではありません。
こういったことには目を瞑るのが否定派の常套手段です。

彼らは無知というよりも、あからさまに短絡した無理のあるでたらめな論理の押し付けをします。

それでも人々は、最終的に信じたい方を信じるでしょう。
それは心理的な感情によって行われます。
その心理的な感情は予備知識を元にしています。

無知というのはどうすることも出来ないという話です。
権威には権威で対抗する方法ならば、周知は可能です。
例えば芸能人が集団ストーカーを告発すれば、人々の気持ちは一気に傾くでしょう。

多くの科学者が集団ストーカーは技術的に可能と言えば、人々は集団ストーカーを否定しにくくなるでしょう。

しかし敵はそのあたりも当然コントロールしています。
周知合戦においても我々は相当不利なのです。

政治がこんなにゴタゴタするはずがないということに気づけば、それが集団ストーカーによる犯行なのだということにも気づくこともあるでしょうが、どうしても生まれてから今までの常識を打ち破るのは困難でしょう。

世界はおかしいということに気づけば、その原因のひとつとして集団ストーカーの可能性も視野に入ってくるかもしれません。

自分の経験は、世界を知るためには十分ではないことを知らなければなりません。
その答えは、あまりにも奇妙なところに隠されているのです。

政治家はおかしくない、マスコミはおかしくない、世の中はおかしくない、おかしかったとしてもそれは自然にそうなっているのだ、このように言っている人々がまともなはずがないのです。

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