神を信じるかの逆の問いが、自然を疑えるかになりますが、おおよそ似たような意味になります。
もし、人間と論理が矛盾する状況になったら、どのような理解をしようとするでしょうか。
もし、自然と論理が矛盾する状況になったら、どちらを信じようとするでしょうか。
ガスライティングの根底というものは、被害者の理解をも操作しているのではないか。
被害者の認識さえが、ガスライティングというテクニックの中にあるのではないか。
完全な論理を構築することは真理を知らなければ難しいでしょうが、矛盾については比較的簡単に認識できます。
すべてが罠の中に存在するのではないか。
そのように考えるのは、集団ストーカーの被害の中に現実操作というものがあるからです。
この現実操作は被害例が少ないために、その詳細は分かりません。
これは目に見える現象が自然法則から大きく逸脱する現象であり、それは幻覚ではないように見えます。
それは脳の操作による幻覚なのか、本当に現実を操作されているのか、その判別は困難です。
例えばボールなどを投げた時に、投げる感覚はいつもと同じでミスをしていないはずであるのに、手元を離れた瞬間に一瞬だけボールを見失い、ワンテンポずれたような感覚でボールを認識して自分の狙ったところではない方向に飛んでゆく。
どこかで自分の知らない力が加わったように感じる現象があります。
またボールを投げた時に、いつもはそんなところにガラスのついたてなどないはずなのに、突然ついたてが現れてガラスを割ってしまうということもあります。
ガラスが割れるまでそのガラスは見えておらず、割れた後に初めてガラスがあったことに気づきますが、一瞬自分の認識不足であったように感じるのですが、記憶をたどるとどう考えてもそこにガラスなど見えなかったはずなのです。
つまり一瞬でガラスのついたてが出現したか、ガラスが認識できないように脳や視覚を操作されていたか、あるいは本当に自分の認識不足による不注意であったかです。
不自然なところにガラスのついたてがあるわけですから、その現象はガスライティングであることは間違いないのですが、認識がいくつにも分かれます。
前もってガラスのある方向を慎重に見ないように認識の操作も明らかにされているのですが、全体的にはしっかりと見ているわけですから、そのようなミスをすることは考えにくいことです。
このように現実の世界の方を操作されているかのように感じる現象が頻発すると、やはり自分の認識の問題だけではないのではないかと感じます。
自然の法則をも書き換えることができると考えるよりは、それは脳内の認識さえ操作すれば事足りますので、通常はそのような認識になるでしょう。
しかし、その現象においてそれは認識の操作の外側の操作であるように感じるように操作されます。
その操作は微妙なものがほとんどで、現実や幻覚との見分けが困難なものがほとんどです。
幻覚はいくらでも派手なものを見せることが出来ますが、結局それは夢のようなものですから、幻覚から覚めた時にはただ夢のようなものを見ていた感覚になるだけですから、総じて集団ストーカーの攻撃は見た目に地味なものが多いように思います。
論理ということで考えてみると、世界のすべての人々が集団ストーカーという現象について精神病であると考えているというのは、我々にとってはあり得ないことです。
精神病ではないと説明すると、必ず世界の人々は論理がおかしくなるか黙殺します。
それが我々にとっての精神病ではない自身への証明にもなります。
論理的に考えれば、世界そのものが論理的ではないということになります。
それは世界の情報のすべてが嘘であった可能性も意味します。
論理的に世界そのものがおかしいという状況は重要な要素になります。
集団ストーカーの動機についても、実験にしてはこの嫌がらせは完成され過ぎているという不自然さがあります。
この現実操作を目撃した場合、自然の法則は本当に世の中で言われているようなものなのかに疑問を感じるようになります。
被害者によっては幻覚か現実の操作でUFOを見せられているかもしれませんし、また人の顔が爬虫類や鳥のように見える幻覚を見せられているかもしれません。
いずれにしても、それらの体験は重要です。
それらの体験を無視して常識的な方向に答えを求めようとするのは、心情的には分かりますが意外と現実的ではないのかもしれません。
世間と認識がずれてしまうことは、敵の精神病工作を成功させてしまうことになりますから危険なことです。
だからといって自らの体験を否定してしまうと、集団ストーカーがこれほどのテクノロジーを持った存在であることを、正確に伝えることができなくなります。
また、常識的な範囲で物事を捉えるということは、真実が見えなくなる一因になることもあります。
それもガスライティングの効果の一つでしょう。
正常であることを証明するために、異常な体験を自ら否定してしまうのです。
これは電磁波による操作というレベルの話ではないように感じますが、電磁波によってすべてが操作可能である可能性もあります。
個人の力で自然の法則を見極めることは困難でしょう。
それが幻覚の操作か現実の自然法則を書き換えるような操作なのかによって、集団ストーカーの実力の認識が大きく変わります。
集団ストーカー、取り分けテクノロジー犯罪の高度な攻撃は、単なる隣人の嫌がらせというレベルではなくなります。
その場合、現在流れているほとんどの仮説が否定されるでしょう。
被害者同士での情報の擦り合わせが困難である理由、世の中がテクノロジー犯罪をないものとして黙殺する理由は、この体験している法則が一致しないことにより起こるものでしょう。
法則にまで多重性が仕掛けられています。
それは仄めかしとして、表の情報にも散りばめられています。
この記事へのコメント
MAGIC ULTRA
メディアも権力も何かに支配されていることは間違いないようですね。
彼らは分かっていてわざと挑発しているわけですから、気持ちは分かりますが、それほど特定の国家や民族に危機感を持つ必要はないと思いますね。
ただ、地域性もあるかもしれませんが、なんらかの基礎的な情報があるのかもしれませんね。
テレビ局は在日と同和などが幅を利かせています。
マジックには、結局裏があるのと同時に人工知能が深く関与しています。
ゼロ
闇の力は生物の行動を見えないアルゴリズムに沿って自在に組み立てることが出来る様です。ならば、どの様な被害も運命として可能と言うことになります。
3次元空間と時間の中で因果律を破る現象も起こせるでしょう。唯、実力から言えば、そこまで見せる必要もない筈です。あるとすれば演出です。
私の被害軽減に作った簡易分光器が宙に浮いたことがあります。
被害当初、一緒にやらないか?というデーモンチックな声を聞きました。こんな演出も出来るのかという驚きと共に、余りに過酷な被害から一瞬考えました。
しかし、茶番であることは主さんが一番理解出来るでしょう。解決は不可能でも逃げ道はある様に最近は感じます。
MAGIC ULTRA
コメントありがとうございます。
MAGIC ULTRA
>
コメントありがとうございます。
加害勢力の言葉は嘘がほとんどだと思いますが、例外もあるようですね。
世界を把握させないように情報を制限している操作の一環だと思いますが、自分一人の体験だけだと情報が少な過ぎて判断に至りませんね。
私は現在テクノロジー攻撃らしきものがほとんど無くなっていますし、集団ストーカーのような事象もコリジョンを除いてかなり弱まっていますから、事態はいつでも変わり得ますね。
同じ嫌がらせが永遠に続くというわけでもないようです。
私の場合自由を感じませんので、単に嫌がらせの種類が違うだけなのかもしれません。
人間らしさというのが大きなテーマになっているように感じます。
確実ではありませんが、精神的な対処や論理的な対処などをある程度試して実際に被害が軽減していますし、論理的な安全地帯を作ることも効果が期待できるのではないかと考えています。
ただ万人に通用するものではないような気もしますから、敵の操作の中にいるだけという感もあります。
被害者はそれぞれ対処をしていて、攻撃の種類にもよりますが全く無駄になるというものでもないようですから、やはり少しずつは前に進んでいるような感じですね。
解釈はいくつもありますが、自分を信じるか敵を信じるかという最悪のダブルバインドを仕掛けられ、真実は敵の手に握られているという残酷な設定の中で、自己という存在は最後まで人間らしい思考で進んでいきます。
これを茶番と理解するか人生と理解するか、自然の理と理解するか集団ストーカーの暴力と理解するか。
どのような答えでもそれが正解になる可能性さえあり得ますね。